京都にて‥その1

先週、京都の相国寺承天閣美術館へ「若冲展」を見てきた。

最初は日帰りを考えていたが、夫の「折角だから泊まってくれば」の一言で展覧会の他にもいくつか訪ねることができた。
一泊二日とささやかな旅行だったけれど、一人で行きたいところに行き、かけたいだけ時間をかけられるというのは、本当に幸せなことだと実感した。

先ずは「若冲展」
当日は、平日で雨降りだったにも拘らず凄まじい混みようだった。

「釈迦三尊像」と「動植綵絵」の120年ぶりの再会もさることながら、あまりに展示期間が短いことと、昨今の若冲人気の結果だと思うが、正直これほどとは思わなかった。
会場は大きく2つに分かれていて、第一展示室は、初期の花鳥画や水墨画、障壁画の展示、第二展示室(この歴史的再会の場として用意されていたそうだ)は、「釈迦三尊像」と「動植綵絵」のみの展示となっていた。
因みにこの第二展示室へ入るにも入場制限があり、相当待たされた。

第一展示室の圧巻は、何と言っても「鹿苑寺大書院障壁画」の数々。
斬新な意匠、自由闊達に走る筆、技巧を凝らした描法、若冲といえば極彩色を連想しがちだが、私は水墨画のすばらしさあってこそと思う。
現在は作品の地の白がくすんだ感じになっているが、描かれた当初は白黒のコントラストがもっとはっきりとしていて、むしろ彩色されたものよりモダンな雰囲気だったのではないかと思った。
知識と文化の発信地としての大寺院にふさわしい、贅沢で洗練されたモノトーンだと感じた。

特に印象に残ったのは鹿苑寺大書院三之間の「月夜芭蕉図床貼付」だった。
これは床の間が再現されていて実際の様子が味わえるようになっていた。
満月が浮かび、芭蕉の大きな葉の破れ目から月光が差す。夜風が茂った葉を揺らし、幽かな音をたてるのが聞こえそうな風情。
異国情緒と静寂が画面から忍び寄ってくるようだった。

同じ三之間の襖絵には芭蕉と叭々鳥(ははちょう)が描かれている。
カタログの解説によると、叭々鳥は極めて美しい声と人語を真似することから、極楽に住み、美声をもつ人面鳥身の「迦陵頻迦」になぞらえて、「迦陵」の異名を持つとのことだ。
また江戸時代は、芭蕉の葉が脆く破れやすいことから「庭忌草」とされ、神社仏閣に植えられる植物としてのイメージがあったそうだ。

さて、やっとのことで到着した第二展示室の構成は、入り口から正面奥の壁に中心となる「釈迦三尊像」、左から普賢菩薩像・釈迦如来像・文殊菩薩像が展示され、それを「動植綵絵」が左右の壁に15幅ずつ連なって、仏を華やかに飾っていた。
問題はその配置。
どの絵とどの絵が対になるのか、どういう順番で並べられるのか。
今回は混雑ぶりに一枚一枚をじっくり見るのは諦めて(幸い三の丸で満足いくまで見られたので)全体の雰囲気や対になった作品を見比べることにした。
カタログには資料や研究をもとに「観音懺法」での陳列順を推測して展示を構成したとあった。
私には一対の仏教的な意味合いなどはよく分からないが、なるほど納得のカップルから意外なカップルまで、興味は尽きなかった。
以下は「釈迦三尊像」からの並び順。


この3幅ははじめて実物を見た。

第一印象で、言い方は変だが、写経のよう描いていると思った。‥それが写仏の心ということか?
丁寧にゆっくり一筆一筆描いていることがよく分かる。色彩も非常に鮮やかで赤、青緑がバランスよく配置されていて、白がとても効果的だ。
三幅それぞれデザインを凝らしていて、特に仏が乗る蓮の花びらの形が面白かった。これも色も文様も見事に描き分けていた。
細かな描写は「動植綵絵」も同じだが、仏の姿ということで、若冲がより緊張感を持って描いているように見えた。
熱心で真摯な仏教徒であることの証のような作品だ。
が、反面「動植綵絵」に比べ面白味みがないと感じられるのか、人気はイマイチ。ここはちょっと空いていた。

左が普賢菩薩像の隣、右が文殊菩薩像の隣で、以下左右対称にズラリと並ぶ!

             
老松白鳳図        老松孔雀図

仏様の隣はこれしか考えられない。妖艶な白鳳に若冲の独特なエロティシズムが垣間見えるよう。
私は若冲が描いた女性像は記憶にない、あるのだろうか?

 

   
牡丹小禽図       芍薬群蝶図

牡丹と芍薬、どちらも似たもの同士だが、埋め尽くされた空間とぽっかり空いた空間は対照的だ。
息苦しいほどの牡丹の重なりに、ふとアングルの「トルコ風呂」を思い出した。極楽の違いも甚だしくて可笑しくなった。

 

   
梅花小禽図       梅花皓月図

若冲の梅は白点が雨のように無数に降っている。この人は純粋に描くという行為が好きなのだと感じる。

 

   
向日葵雄鶏図      南天雄鶏図

南天は血の塊のように降り注ぎ、雄鶏はそれをものともせず見得を切る。戦慄美の芳年を連想した。

 

   
秋塘群雀図       蓮池遊漁図

どちらも妙にゆがんだ空間が画面に収まっていて不思議な絵。以前一羽だけ白い雀について書いたが、蓮池も一匹だけ違う魚がいる。多数の中の「異」が動植綵絵の中にはいくつかあると解説にも書かれていた。他作品の「異」探しも面白そうだ。

 

   
棕櫚雄鶏図       老松白鶏図

どうも若冲は「女性」に屈折した思いがありそうだ。雌は妙に捩れた姿をしているのが多い。
棕櫚の方は両方雄だから、お互いに訳知り顔に見えるが‥

 

   
雪中錦鶏図        雪中鴛鴦図

雪をモチーフに技巧の嵐。ありえそうでありえない形や質感が奇才たるゆえん。

 

   
扶養双鶏図       紫陽花双鶏図

よく似た構図の一対。若冲の描く植物は、どれも皆パターン化されていて特徴的だ。
芙蓉双鶏図の白い鉄線を見てもとても写実には見えない。写実ではなく全て若冲の形になっているのがすごい。

 

   
梅花群鶴図       老松鸚鵡図

このカップルは誰とも似合わないもの同士みたいだ。群鶴は不可能なほど犇いてだまし絵的な面白さがある。

 

   
芦雁図         芦鵞図

一見地味だが、大胆な構図と描法の面白さで好きな一対。雁は横に見ると、まるで飛んでいるように見える。

 

   
桃花小禽図       薔薇小禽図

何度見ても不気味な太湖石のようなものとパターン化された3種のバラ。(太湖石についてはこちら

 

   
大鶏雌雄図       群鶏図

数の対比で選ばれたのだろうか。ここで唯一の雌鳥は珍しく美人だと思う。

 

   
貝甲図         池辺群虫図

どちらの作品も嬉々として描き込まれた生き物たちで一杯、小動物たちの饗宴といった感じ。
池辺群虫図の額縁のような構図は、蓮池遊魚図と似ているように思うが‥。

   
紅葉小禽図       菊花流水図

菊花流水図は構図がとても「琳派的」で大胆かつモダン。中心でクロスする菊花と流水は花火と天の川のようにも見える。
それにしても紅葉の枝にある穴は何だろう?実際に見つけたものか、デザインか、心理的な象徴か、蛸と同じような遊びか‥気になる。

   
群魚図(鯛)      群魚図(蛸)

最後は魚たちが飾る。どうも若冲は魚にはあまり興味がなかったのではないだろうか。
鶏を描く時の熱が感じられないような。その冷たい無感動な様子がまた良い。

何故これほど今、若冲に人気があるのだろうか。しかも若い人に人気が高いのは何故だろう?
「動植綵絵」を見て感じるのは、人間不在の理想郷、男女の性を感じさせない情熱だ。若冲が生涯独身であったことも、作品の傾向に深く関わっていると思う。好きなことへの執着に対して、それ以外のことには頓着しない、そのギャップの激しさも今の若い人には、ごく自然に共感できるのではないだろうか。さらに執着する対象が人間ではない(ように私には思える)ことも見逃せない点だろう。
人生の喜怒哀楽や、赤裸々な感情や肉体を表現した絵画は、重過ぎて疲れる。若冲はそういう絵を描かない。
「動植綵絵」の魅力は、肉の煩わしさが排除された陶酔感ではないだろうか。
どこかドライで中性的な世界、そこが今の時代に受け入れられているのではないだろうかと思った。
どちらかといえば、人間的なものはユーモアでかわす。そんな「軽み」も若冲の魅力だと思う。
その若冲の素朴で愉快な五百羅漢のある「石峰寺」は、その2で。
おぉ、気がつけば長々と書いたもんだ。

去年三の丸尚蔵館で見た「動植綵絵」について。

第一期の感想
第二期の感想
第三期の感想
第四期の感想
第五期の感想

「若冲展」http://jakuchu.jp/jotenkaku/

京都にて‥その1” に対して1件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >ワインさん
    お互い良い体験ができましたよね!
    ワインさんも去年から若冲を見ていらっしゃったから、一堂に会したあの状態に感激も一入だったと思います。
    まだ日記の方に伺ってませんが、感想が楽しみです。

  2. ワイン より:

    kyouさんのおかげで、私もこの展覧会に足をはこぶことができました。最終日の日曜、日帰り旅行です。
    ほんとうにありがとう。すばらしい体験でした。混んでいたけれど、行ってよかったと心底思いました。なんだかエネルギーを充電できたような気がします。

  3. kyou2 より:

    >高人さん
    私も最初に見たときは、激情型でしたよ。それにしても凄い込み具合でしたね。もう少し空いていると良かったのですが。

    白鳳は妖しすぎです。孔雀の方が冷静な感じです。うっとりしていた男性は、きっと異世界にトリップしていたんでしょうね。

    >生きている内に見ることができて、
    そっそんな、でも気持ち分かります。またやらないかしら。京都はちょっと遠いですが(笑

  4. 高人 より:

    激情型の私などとは違って、kyouさんはとても丁寧に精緻な見方をされたのですね。上の対比は、とても参考になりました。

    私は何故か左の壁面の方から見始めたのですが、そこに「南天雄鶏図」や「老松白鳳図」、それに「雪中錦鶏図」が並べてあり、右の壁面に比してどちらかといえば、劇的な表現の作品が犇いていたように感じました。
    そのあと、右へ廻った時、よく似た構成の対称的な絵柄があり、左の絵と1対になっているのに気が付きました。

    白鳳図のところでは、中年男性がうっとりしながらただにやにや笑いながら壁に凭れているのを見ました。
    そして、うしろを振り返ると、若い女性が呆然と魂を抜かれたように立ち尽くしていました。

    兎も角、生きている内に見ることができて、本当に嬉しかったです。

  5. kyou2 より:

    >Takさん
    本当に期間が短いですね。それに東京だったら何度か行かれたのにと‥。
    でも、相国寺だから意味があったのですよね。

    >それにしても若冲ってほんと絵を描くことだけが大好きだったのでしょうね。
    そうですね。大好きなことをやっている屈託なさが絵に出ていますね。

    PS:Takさんのブログは、疑問に思っていたことの解答や新しい発見があっていつも楽しみにしています。

  6. Tak より:

    こんばんは。
    TBありがとうございました。

    まさに力作。
    kyouさんの想いが画面からひしひしと伝わってきます。
    あらためて画像を並べていただくと感動が甦ります。
    拝みたくなりました。この記事。

    明日でもう終わってしまいますが
    またきっと観られる日が来ること祈りましょう。

    それにしても若冲ってほんと絵を描くことだけが
    大好きだったのでしょうね。ひとつのことこれだけ
    専念できること羨ましく思えてなりません。

  7. kyou2 より:

    >みちこさん
    田中一村記念館へいかれたなんてすごいですね。
    鶏といえば若冲ですが、以前展覧会で見た一村の鶏も、とても良かったです。
    そういえば、両人とも鳥や植物の絵が多いですね。若冲は一村のように孤高という人ではありませんけれど。

    >わくわくして描いてる感じがするんですが。。。 
    そうですね。若冲はお金に困ることがなかったし、売るための絵を描かなくてよい人だったみたいですね。
    移り気じゃない‥面白い言い方ですね。その通りだと思います。

  8. みちこ より:

    kyouさんの興奮が伝わってくるような今回のブログですね。
    水墨画、見たいなあ、と思います。田中一村記念館でも、ううーむ、と思わず唸ってしまったのは、水墨画でしたっけ。
    たくさん絵を載せてくださったので、ずらずらっとスクロールして眺めてみました。ふふっと笑ってしまいます。若冲は、絵を描くのが楽しくて仕方なかったんですね。今度はこう描こうかな?ああ描こうかな?とわくわくして描いてる感じがするんですが。。。
    きれいに一枚一枚完成させているところを見ると、好奇心は強くとも、移り気ではありませんね。
    自分の完成した作品を眺めて何を思ったのか。。。お酒は飲まれないそうですので、作品が月の光に浮かび上がるところをじっと眺めているような姿を想像します。

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