ゆらぐ絵、ゆらがない絵
三の丸尚蔵館「花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」の第四期の展示を見に行った。
今回の展示は、入り口から酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」12幅がずらりと並び、フロアーをはさんで対峙する若冲「旭日鳳凰図」1幅「動植綵絵」6幅と好対照だった。
酒井抱一は「江戸琳派」の祖といわれるように、江戸で琳派を広めた人物。大名の次男で生活の為の絵を描く必要は無かった。富裕な文化人であった点は、若冲と似ている。
「花鳥十二ヶ月図」は一月から十二月まで、それぞれ瑞々しい色彩と端整な構図で花鳥風月を配した作品群だ。
先ず、その空間・余白の美しさが爽やかだった。それは若冲作品との比較で一段と鮮明で、何故琳派が日本人の心を捉えるのか、また何故若冲が奇異・奇想と言われるのか分るような気がした。
「5月 燕子花に鷭図」 「8月 秋草に螽斯図」
抱一の絵には風が吹き抜ける空間がある。風は心の揺らぎ、うつろい、情感を生み出すものでもあるように思う。
花鳥風月で、風だけが直接見ることが出来ないというのも面白い。
そういえば、風情、風雅、風流、風狂、風景、風姿・・趣のある風が多いなぁ。
琳派は花鳥風月を通して日本人が共感できる風情、風雅といったものが集約的に表されているように思える。
共感しやすさが、琳派に対して親しみ易いと感じる理由ではないだろうか。
一方、同じ花鳥風月をモチーフとした若冲の「動植綵絵」だが、私には「風」は感じられない。「動植綵絵」には揺らぎがない。
同じ花鳥図であるのに、いわゆる風情が無い、どこか奇異だ、と感じるのはそのためではないだろうか。
・・・でも私は若冲の描く鶏に代表される、凍りついたような存在感、情感を廃した絶対的な強さに惹かれるのだけれど。
さてさて、「動植綵絵」は楽しみにしていた作品が続々登場で、大満足。
「老松白鳳図」「向日葵雄鶏図」「大鶏雌雄図」「群鶏図」「池辺群虫図」「貝甲図」
面白かったのはやっぱり「池辺群虫図」と「貝甲図」
共に無数の虫や貝を描いたものだけれど、隣り合わせの両方を見比べると、画面構成や遠近感の創り方が異なっていて興味深かった。
「池辺群虫図」
「池辺群虫図」は第3期の「蓮池遊魚図」と同じような構成になっているように思った。外側が近景(手前)、ぐるりと円を描いて中心を囲むような感じになっていて、中心が遠景(奥)で、池を覗き込むような形になっているような感じがする。
「貝甲図」
「貝甲図」は画面下が近景(手前)、上が遠景(奥)画面下は貝も大きくカッチリ描いて、上は貝も小さくややあまく描いていて遠近感が感じられた。
触手を伸ばしているかのような波は、貝より生き物のようでユニークだ。見飽きる事無くて立ち去りがたく、困った絵だったなぁ。
虫はあまり得意じゃないけれど、若冲の描いた虫は無心に生きていて、少し羨ましくなる。
「動植綵絵」に描かれた動植物は、みな人間の思惑とはかけはなれたところにいる生き物のように思う。
だから忠犬もいなければ、癒し猫、愛馬なんてのもいない。それでもことごとく大切な命。そういうことなのだろう・・・。仏教で、雨季に虫の動きが活発になるから、その虫をむやみに歩き回って殺さないように家の中で書物を読んで過す、安居っていうのを聞いた事がある。
「三の丸尚蔵館第40回展開催要領」http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-06.html
“ゆらぐ絵、ゆらがない絵” に対して4件のコメントがあります。
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>ワインさん
お~、行かれましたか。そう圧巻ですよ!
鳳凰の網目状の描写なんて、正に超人的。実物の迫力は見なければ分りませんよね!
画面の絹目が吸い込まれるようで、これは画集では体感できませんね。
ほんとエネルギッシュ。見るたびに圧倒される絵です。
いつも若冲は6作品なんですが、今回は豪華7作品。超お得な期間でしたね!
今日見にいきました。全く、圧巻!でした。
ニワトリも鳳凰も、なんと堂々として迫力のあること。
あんなにエネルギッシュな日本画は初めて見ました。
>ワインさん
コメントありがとうございます。このところブログもサボリ気味で、随分前に見に行った第4期ですが。
「動植綵絵」は絶対お薦めですよ。プライス・コレクションで水墨画がの方がよく見えたのも、細密描写していた作品がこちらと比較してどうも見劣りしてしまうからなのです。
>絵によっては全く逆の雰囲気のものもあるというところが若冲の懐の大きさでしょう。
本当にそうですね。技法も色々ですからね。
いつも若冲が一人勝ち状態の展示ですが、第4期は、抱一がとってもいいです。琳派の良さをしみじみ感じました。
kyouさんのブログの写真を見ているだけで行きたくなります。
風をとおすか、とおさないか、という視点おもしろいですね。若冲がどこか西洋の細密画のような雰囲気を感じさせるのは、kyouさんのおっしゃるように「凍りついたような存在感」「情感を廃した絶対的な強さ」があるからかもしれませんね。でも、絵によっては全く逆の雰囲気のものもあるというところが若冲の懐の大きさでしょう。
私もちかいうちに見にいこうと思っています。