『日本社会の歴史』

日本社会の歴史〈上〉 (岩波新書)

『日本社会の歴史 上・中・下』 網野善彦 (岩波新書)

日本史というと、朝廷のあった京都周辺や幕府が開かれた鎌倉、江戸あたりが中心で、そこで繰り広げられる権力闘争や戦乱がまず思い出される。

しかし本書を読むと、当たり前のことなのだが、そういう場所だけでこの国が発展してきたのではないということが伝わってきた。

列島各地で海を交通手段として活用し、それぞれの地域が諸外国と独自の関わりをもちながら、交易や産業、農業を発展させて、特色ある暮らしを発展させてきた。

権力の移り変わりとしての通史ではなくて、列島各地の人々の側から捉えた文字どおりの日本社会の歴史だ。

上巻は列島の形成から九世紀(平安時代初期)まで。

中巻は10~14世紀前半、摂関政治から鎌倉幕府の崩壊まで。

下巻は南北朝の動乱から地域小国家が分立する時代を経て、江戸幕府成立まで。

下巻では17世紀後半からは「展望」として書かれ、明治政府によって歪められた歴史観が現在にも影響していることなどが書かれている。

天皇や日本という呼称の誕生、中世の市や貨幣、職能民や遍歴民の活躍、女性や子供の位置づけは『日本の歴史を読みなおす』や『無縁・公界・楽』にも書かれていて網野氏の本を読むと必ず出てくるテーマ。とても根源的なもので読むたびに惹かれるものがある。

 こうした、人の力の及ばぬ自然、神仏の世界と人間の世界との境界として、河原、中洲、浜や巨木の立つ場所に、人々は市を立てた。そこは神の力の及ぶ場であり、世俗の人と人、人と物との結びつきが切れるとされており、人々はそこに物を投げ入れることによって、これを商品として交換しうる物とした。共同体をこえて人々は市庭(いちば)に集まり、畿内周辺では銭貨も用いたが、米、布、絹などを主な交換手段として、交易を活発に行った。またそこでは神を喜ばせる芸能が行われるとともに、世俗の夫婦・親子の関係も切れるとされており、「歌垣」という歌をともなった男女の自由な性交渉も行われたといわれている。 上巻(p162)

8世紀の社会についての記述だが、今の繁華街を思い浮かべると、つくづくこの延長線上にあるんだなぁと思う。

神を喜ばせる芸能という言葉に、畏れと謙虚さを感じる。合理化が必ずしも善とは限らない気がした。