[本] 『感染症の歴史学』
『感染症の歴史学』 飯島 渉 岩波新書
ちょっと難しそうかなと手に取りましたが、冒頭に
本書は、二〇二〇年から世界を席巻した新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナと略す)のパンデミック(世界的な大流行)を感染症の歴史学に位置付ける試みです。
と記されていました。「感染症の歴史学」に位置付けるとはどういう事でしょう?
歴史学というのは昔のことを学んだり、そこから現在に活かす知識を得たりするものかとイメージしていましたが、自分が経験した新型コロナが歴史学に新たなページを作るという事に、改めて同時代の誰もが当事者であり、自分事なのだと思うと興味が湧いてきました。
人類は歴史上、天然痘やペスト、マラリアといった感染症が猛威を振るい多数の犠牲者を出したパンデミックを経験していました。本書では最初に新型コロナのパンデミックについての考察があり、次に天然痘のパンデミック、ペスト、さらにマラリアとそれぞれの感染症の歴史から新型コロナのパンデミックについて読み解いていきます。
新型コロナは当初は未知の感染症でした。未知の感染症を新興感染症と言い、新型コロナに先立つSARSやMERSも21世紀に起こった新興感染症とされ、記憶してる方も多いと思います。
そもそも感染症は人の生活領域が拡大し未知の病原体との接触が広がると流行が起きるそうで、約一万年前の農耕の開始や定住、野生動物の家畜化による動物との接触から始まり、農業をはじめとする開発、生態系を変革することに起因する感染症を「開発原病」と呼ぶそうです。新型コロナも開発原病であり、中国経済の発達による生態系への改変や人口増加、流動化が背景にあると指摘されていました。
また、新興感染症の対策として人間だけが健康ではダメで、人間が生活している環境や生態系が健康でなければならないという「ワンヘルス One Health」「プラネタリーヘルス Planetaly Health」という考えが登場しているそうです。同じ地球という環境の中で生態系の一部としての人間がどうバランスをとって共生していくのか考えさせられました。
話が大きくなりましたが、個人的には感染症というのが普通の病気とは全然違うことに少々戸惑います。普通、病気というものは最も個人的なセンシティブな事柄で、あまり公にすることでもないように思いますが、これが一転、感染症となると一気に個人が吹っ飛び社会的な問題となります。病気の性格上、当たり前と言えばそうなのですが、個人の問題でなくなるから国や社会のあり方、国民性、文化的な背景が関わってくることになり、情報化された現代において各国のパンデミック対策の違いを目の当たりにしたことも感慨深いものがありました。端的には国による法的なロックダウンと要請レベルの自粛で乗り切った日本とでは人、社会、国の在り方が根底から違うと思わざるを得ませんでした。
また、天然痘のパンデミックについての記述の中で「疱瘡絵」が紹介されていたのが浮世絵好きとしては印象に残りました。江戸時代、大地震があれば「鯰絵」天然痘が流行れば「疱瘡絵」など、自然災害や感染症など避けられない悲劇や不運に対して大地震を起こす大鯰を退治して笑い飛ばしたり、天然痘を流行らす疫病神を疱瘡神として祀ったり、魔よけの赤で描いて枕元に置いたりしたそうです。今回の新型コロナでもアマビエや黄ぶな(張り子の黄色い鮒)といったものに心を寄せるのは同じような心理なのかなと思います。今でもネットの手作りサイトなどで可愛いコロナの魔よけグッズやシール、Tシャツなどを販売しているようです。もちろん現代人はそれで感染症がどうにかなるわけでもないと承知していますが、つくづく人はデータだけでは生きられないと感じます。著者は今回のパンデミックで個人や社会のふるまい方、SNSの発信やYouTubeの動画(デマ、フェイク情報も含めて)を大切な記録としていることに共感を持ちました。
新興感染症はそれが発生するか否かではなく、いつ発生するかが問題だったそうです。今後も確実に発生すると考えるべきです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言われることですが、新型コロナのパンデミックが収束して間もない今こそ、いつの間にか記録や記憶が雲散霧消する前にしっかりと歴史に位置付けされなけらばならないのかもしれません。著者はそれらに係る膨大な記録や記憶について「何を、誰が、どう残すか」という戦略を明確にする必要があると記しています。本書に何度となく「新型コロナのパンデミックを歴史化する」という言葉がでてきますが、資料の消去や散逸に対する著者の危機感と研究者としての責任感を強く感じました。
遠い未来か或いは一年後かもしれませんが、未知の感染症が出現した際には、歴史化された今回の新型コロナのパンデミックから多くを学び、最新の科学を基盤として柔軟で適切な対応ができるような個人と社会であれば良いと思っています。
“[本] 『感染症の歴史学』” に対して2件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
いつもコメントありがとうございます。
難しいことをとても分かりやすく書いてあるので、素人の私にも興味深く読めました。
「これからは何が出てくるかわからないぞ」ホントそうです、自然を甘く見ているととんでもないことが起きそうです。
環境を大切にというのは、何も動植物のためではなくて自分たちのためでもあるんですよね。とは言え、人間だけが特別じゃないと謙虚になるべきですね。
人の生活圏が広がると、それに伴って今まで知られていなかったウィルスが人に感染症をもたらすというのはとてもよく理解できます。中国は広大な土地を有していますが、つい最近までは今のような経済力もなく社会全体が外へ向かって広がることもなかったけれど、これからは何が出てくるかわからないぞという感じがします。
>同じ地球という環境の中で生態系の一部としての人間がどうバランスをとって共生していくのか
・・そうですね、まさに自分の身体だけでなく環境についてもっと真剣に考えていかなくてはならないことを強く感じます。One Health / Planetary Health なるほど目からうろこでした。