[本] 『植物記』『植物一日一題』

『植物記』 牧野富太郎 ちくま学術文庫

植物に対する情熱と知識とともに型破りな研究人生を語った随筆集。

植物関係の随筆というと比較的穏やかなものが多いように感じていましたが本書はさにあらず、植物分類学者の牧野富太郎が学術的・歴史的考察に基づいて旧来の植物学者や識者の誤謬を舌鋒鋭く是正していきます。

特に印象的だったのは万葉集に歌われている植物についての「万葉集スガノミの新考」です。

・真鳥住む卯名手の神社の菅のみを衣に書きつけ服せむ児もがも
まとりすむ うなてのもりの すがのみを きぬにかきつけ きせむこもがも

内容は「卯名手の神社の杜に生えている菅(スガ)という植物の実で服を染め、それを着せてやる女がどこかにいればよいのに」という歌です。万葉学者は昔からこのスガをヤマスゲ(今でいうジャノヒゲ)だとしていますが、それは大きな間違いで本当はガマズミであると主張しています。


ジャノヒゲ(ジャノヒゲ属) 画像:季節の花300


ガマズミ(ガマズミ属) 画像:季節の花300

曰く、ジャノヒゲの実は確かに濃い藍色をしていますが、それは表皮のみで擦り付けても全く染まらないとのこと。一方ガマズミはどこにでも見られる落葉灌木で神社にもよく生えており、赤い実は赤い汁を含んでいて漬物の色付けに使うこともあるので布に擦り付けて染めたと考えることができる。またガマズミのズミは染ミ→ソミ→スミ→ズミと変化したものだそうです。

・奥山の菅の葉凌ぬぎふる雪の消なば惜しけむ雨なふりそね

この「菅の葉」も万葉学者はヤマスゲ=ジャノヒゲ(またはヤブラン)としていますが、そもそもジャノヒゲ、ヤブランは奥山で見ることはなく、カンスゲなどのスゲ属が雪の中に繁茂しているさまとしています。なるほど雪に逞しい緑のコントラストの美しさを想像してこそ「雨よふるな」が生きてくるのかもしれません。


カンスゲ(スゲ属) 画像:季節の花300


ヤブラン(ヤブラン属) 画像:季節の花300

・さくはなは うつろうときあり あしびきの やますがのねし ながくはありけり

こちらの「ヤマスゲの根」も長い地下茎をもつスゲ属のどれかであって、長い根(地下茎)をもたないジャノヒゲ(またはヤブラン)は当てはまらないとしてます。植物学者としての知見から矛盾を指摘し、万葉学者がマヤスゲをジャノヒゲと決めつけていることに大いに憤慨しつつ、こう結んでいます。

以上述べ来った事については多分万葉学者からは貴様のような門外漢が無謀にも我が万葉壇へ嘴を容るるとはケシカランことだとお叱りを蒙るのを覚悟のまえで、カクハモノシツ。p25

ところで、私は万葉集の時代の人が植物をよく見知っていてることにも驚きました。スガの根が長いとか実を擦り付けて染めたとかの描写があってこそ著者が正しい植物を導くのことができたわけですから。日本人と植物との繊細で豊かな関わりもあらためて心を打ちました。

本書では植物研究以外でも著者の信念を曲げない強靭な精神を随所で知ることができます。「私と大学」「亡き妻を想う」ではいつもどおりの歯に衣着せぬ言葉で思いを語っているのも印象的でした。

 

『植物一日一題』 牧野富太郎 ちくま学術文庫

植物に関するあれこれを一日一題ずつ、百日続けて百題を載せた一冊。

本書では特に日本の植物につけられた漢字の名前について書かれたものが多く、漢文読解力をもとに中国の膨大な書物を精読したうえで、植物学的正確さと照らし合わせて「漢字の名前」の間違いを指摘しています。

例えば、ジャガタライモ(ジャガイモのこと)を「馬鈴薯」と書いていますが大きな間違いだそう。ジャガイモは中国でさえ洋芋、荷蘭薯(オランダイモの意)としており馬鈴薯ではない。また馬鈴薯の形状を示す漢文書によれば「蔓草で木によじ登る」とありジャガイモとは全く違う。よってジャガイモを馬鈴薯と書くべきではないとのことです。

アジサイを「紫陽花」と書くのも間違っているそうで、そもそも紫陽花という言葉は白楽天の詩の中にある山に咲く香りのよい花のことで、どうしてこれがアジサイになるのか、ましてやアジサイは元来日本固有のガクアジサイから出た花であるから中国の花ではなく、白楽天の詩にある道理がないとのことです。

カキツバタを「燕子花」と書くのも間違いで、燕子花の元となった漢書の説明を読むと、ひょろひょろとした弱い茎に燕に似た紫の花が咲くとあり、これはデルフェニウム(和名オオヒエンソウ)に当たる。さらにカキツバタを「杜若」とも書くこともあるが「杜若」はショウガ科アオノクマタケランのことだそうです。

これらはほんの一部で、同様のことが数多く指摘されていました。植物に限らず日本のものが中国、西洋で何と呼ばれているものかを特定しその正体を明らかにする学問を「名実考」というそうで、古来進んだ文化・学問が海外から入ったことから名前を特定し、分類することは学問が発展するためにも大切なことだったそうです。とは言うものの、著者としては間違いがのちの学者によって全く正されることなく妄信されていることに大いに呆れ憤慨しています。

結論として「日本の植物名の呼び方・書き方」と題するところで次のように主張しています。

日本の草や木の名は一切カナで書けばそれで何ら差し支えなく、今日ではそうすることがかえって合理的でかつ便利でかつ時勢にも適している。マツはマツ、スギはスギ、サクラはサクラ、イネはイネ、ムギはムギ、ダイコンはダイコン、カブはカブ、ナスはナス、ネギはネギ、キビはキビ、ジャガイモはジャガイモ、キャベツはキャベツ等々でよろしい。なにも松、杉、桜、稲、麦、馬鈴薯、甘藍などと面倒臭くわざわざ漢字を使って書く必要はない。 P140~141

確かにその方が分かりやすく無用な混乱も避けられそうです。植物学にとどまらず華道や文学でも間違った漢字の名前を使用していることも批判してますが、文学的、情緒的に使用される分にはちょっと大目に見て欲しいような気もします。

この本を書き始めたのは昭和21年84歳とのこと、そのポジティブな精神がすばらしいです。

 

『花物語-続植物記』は未読なのでこちらも読んでみようかな。

[本] 『植物記』『植物一日一題』” に対して2件のコメントがあります。

  1. kyou より:

    いつもコメントありがとうございます。
    自叙伝読まれていたんですね。本当に信念の強い人ですね、同時に我も強そうで(理不尽であったかどうかわかりませんが)敵も味方も多かっただろうと。
    古典の知識は本当にすごいですね。中国の文献を片っ端から読んで探し当てているところは時間も労力も尋常ではないと思いました。
    植物一日一題は以前青空文庫で読んだことがあったのですが、ほとんど忘れてました。情けない~。
    カナ書きは便利ですね。たとえカナだとしても日本での植物の呼び名・書き方って沢山あるので悩むことあります。作品展とかで属名とかを書くときユリズイセン属と書くよりアルストロメリア属の方がいいのかなとか。
    朝ドラはときどきNHKプラスで描きながら見てます。
    PS:ワインさんに影響されてマティス展行ってきました。

  2. ワインワイン より:

    牧野博士がモデルになっている朝ドラの番組、面白くて毎日見ています。ドラマとしてとても良くできていますが、実際のところ学者であった牧野富太郎はただただ天真爛漫な人だったわけではなさそうですね。研究者というのはその分野に関しては鬼のような面があるものなのかもしれませんね。また、牧野博士の古典の知識の深さにも驚きます。
    私は牧野富太郎自叙伝(講談社学術文庫)以前に読みました。本当に個性の強い、そして信念の強い人だったことが文章からもよく伝わってくるように感じました。
    >日本の草や木の名は一切カナで書けばそれで何ら差し支えなく、今日ではそうすることがかえって合理的でかつ便利でかつ時勢にも適している。
    この牧野博士の持論は図鑑に載せる上ではとても共感できます。間違った字をあてるよりはカタカナで表記するほうがずっと良心的だし科学的ですね。

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