[展覧会] 「顕神の夢」展 &「国芳×芳幾×芳年」展
川崎市内で開催中の二つの展覧会を見てきました。
一つ目は川崎市岡本太郎美術館で開催中の「顕神の夢 ー 幻視の表現者 村山槐多 関根正二から現代まで」です。
「顕神の夢 」という意味がよく分かりませんでしたが、作品を見ていくと作家にとって制作に駆り立てる何かの到来を希求し信ずる気持ちではないかなと思いました。脳裏に顕現した何ものかを独自の表現で形にした作家の系譜がこの企画展なのだと腑に落ちました。
心の中にモチーフを求め続けること、何か祈りのようなものを描きつつけるのは過酷な事ではないかと思いますが、止むに止まれぬ思いが溢れているといった作品が多かったです。それゆえ見る人の心を強く動かすものかもしれませんが。
中でも村山槐多の異常なほどの強さは(正直苦手なところもありますが)天才と思わざるを得ませんでした。高島野十郎の蝋燭が2点あったのは嬉しい驚きでした。
恩師と言ったらおこがましいかもしれませんが、芥川麟太郎先生の作品が2点展示されていました。『笹薮わたる』という作品は、縦40cmあまり横145cmと横長の作品で和紙にコンテ、鉛筆、水彩で描かれています。深々とした草が波のように連なり、幾重にも描きこまれた線は追求の軌跡として見る度にしみじみとした感動を覚えます。
岡本太郎美術館で開催されているので、岡本太郎の常設展示と企画展を両方見ることができます。
入り口ではご存じ岡本太郎さんが出迎えてくれます。パワフルで唯一無二の存在ですね。岡本太郎美術館は川崎市立日本民家園に隣接しています。どちらも緑豊かな環境にあるので次は民家園にも行ってみようと思います。
岡本太郎美術館 企画展「顕神の夢 ー 幻視の表現者 村山槐多 関根正二から現代まで」
二つ目に行ったのは、川崎浮世絵ギャラリーで開催中の「国芳×芳幾×芳年」展です。
国芳一門の斬新さとユーモア、技量とセンスがぎゅっと詰まっているといった感じでした。
特に良かったのが、国芳の亀の顔を役者の顔にした「亀喜妙々」、子供の落書きのような役者の似顔絵「白面笑壁のむだ書」、遊郭の人々を雀に置き換えた「里すずめねぐらの仮宿」などです。当時の贅沢禁止によって役者絵や遊郭を描くことが禁じられたことを受けて、それを逆手にとった何とも面白い表現というか遊びでしょうか。
芳幾の「江戸の花旭三個」は三枚続きの火消し三人衆で実にかっこいい。洋の東西を問わずマッチョでイケメン消防士のカレンダーは今も大人気のようですね。
芳年は新形三十六怪撰や月百姿が数点がありました。私のお気に入りの新形三十六怪撰の「さぎむすめ」は、雪の中に白無垢姿の娘と鷺を配した作品です。白無垢の模様や鳥の羽は空摺りの技法で色を使わず凹凸だけで模様が表されており、清楚な美しさが一層際立っています。そういう細かな工夫は近くで見てこその楽しみだと思います。
川崎浮世絵ギャラリーは川崎駅から直結した商業施設内の一角にあるこじんまりとしたギャラリーです。展示数もそれほど多くないので無理なくゆったりと良い時間を過ごすことが出来ました。
川崎浮世絵ギャラリー 「国芳×芳幾×芳年」
“[展覧会] 「顕神の夢」展 &「国芳×芳幾×芳年」展” に対して2件のコメントがあります。
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いつもコメントありがとうございます。
「顕神の夢」いつもはあまり見ないジャンルの展覧会でしたが、恩師の作品が展示されていたのでいってきました。顕神の夢という言葉は私もちょっと分かりずらいと思いました。ワインさんが「何か情熱をもって表現し続けるのは自分の力だけ」とおっしゃっていますが、その通りだと思います。その情熱の発火点というか端緒になりえるような閃き=神の訪れということで、それを見る・体験することを幻視の表現者と副題で言っているのかなと思いました。
いづれにしても植物画とは正反対とも言って良いジャンルですよね。でも、こういう表現主義的な絵画を見ると客観的で写実的描写の価値基準に囚われがちな(当然必須)今の状況から少し解放されたような気もしました。心はもっと自由でいいんですよね。
野十郎は私も大好きです。正統な絵画技法で写実なのですけれど、それ以上に精神的な深さとか独特の拘泥が感じられて惹きつけられます。
こんにちは。川崎の2つの美術館での展覧会に行かれたとは、kyouさんとしては珍しいですね。
「顕神の夢」、つまり文字通りにとれば夢の中に神(のようなもの?)が現れるということでしょうか。偶然ですが、次女の住む九州に行っている間に『神秘学講義』(高橋巖著)という本を見つけて読んでいましたが、その本のテーマが「予感や憧れといった情動の根源はいったいどこにあるのか」というものでした。これは久しぶりに今の私の興味をひくものだったので、迷わず本屋さんで買って読みました。予知夢など、夢に関することも書かれています。
何かを情熱を持って表現し続けることは、結局自分の力だけではないのだろうと思います。音楽でも絵やその他の芸術作品や芸能でもそうではないかなと思います。
こちらに帰る前に福岡県立美術館に立ち寄り、高島野十郎の作品を見ました。6点だけしか展示されていなかったのですが、図書室の中に高島野十郎の作品集がたくさんあって、あらためてじっくりと読むことができて心に残りました。自分の心の琴線にふれる作品というのは極めて少ないものですね。あらためてそんなことも思いました。