[展覧会] 横浜中華街・160年の軌跡
日本大通り駅の上にある横浜ユーラシア文化館で開催中の「横浜中華街・160年の軌跡 この街が、ふるさとだから。」を見てきました。
ずっと横浜に住んでいますが、ここ20年くらい前から中華街が随分変わったなと思います。私が小さかった1970年代は中華料理店がほとんどで、あとは雑貨店が何軒かだったという記憶です。中華街はちょっと贅沢にゆっくり食事ができるところ、慶事や法事、親戚の集まりをするところでした。やっぱりそのころの記憶は懐かしいものがあります。
最近は中華料理以外の店も多く、食べ放題のお店、エンターテインメント施設や、特に占いのお店が多くなったのには驚きました。昔に比べカジュアルに楽しめる観光地という感じかなと思いますが、エキゾチックでここでしか味わえないものがあるというのは中華街の変わらぬ魅力ですね。
さて、本展の展示では街の始まりから現在までの写真や記録、実際に使っていた家具や道具など様々なものがありました。高価で貴重なものばかりではなく、何もしなければ捨てられてしまいそうなものも、50年、100年経てば立派な資料になるのだなとも感じました。例えば老舗を閉じるときに看板や調度品の寄贈してもらったり、街の工事で古いレンガや建物の痕跡などが見つかった、などの情報をいち早く知らせてもらったりするそうで、街の人々と密接に情報交換して貴重な歴史的資料を収集・保管しているのだなと感じました。
特に2011年に中華料理店の安楽園、2013年に漢方薬局の大徳堂が長い歴史を閉じ、その際に寄贈された品々の展示は興味深かったです。
大徳堂のガラス瓶には亀のお腹の皮(真ん中の瓶)が入っていました。何に効くのか謎ですが。時代劇でよく目にするような薬研(やげん)の隣にはタツノオトシゴもいました。
もう一つ目を惹いたのは獅子舞を先導する旗です。とても鮮やかでいかにも中華街という配色とデザインですね。
旗の隣にあるのは書類箪笥です。引き出しに挟まって偶然残っていたという封書があるのもリアルだなと思いました。
また「こんなものまであるんだ」と思ったのが街を練り歩く獅子舞の道路使用許可書。1958年(昭和33年)6月29日の関帝誕の為のもので加賀町警察署に申請して許可を得たと説明書きにありました。
現在コロナ禍で中華街と言えども影響はけして少なくないようです。けれども長い歴史を振り返ると戦争や大震災など壊滅的な危機を何度も乗り越えてきたこともまた事実です。展示してある様々な「もの」をとおして見えてくるのは一人一人の人間の存在でした。中華街のダイナミズムとエキゾチシズムはいつでも魅力的ですが、インタビューのパネルにもありましたが、160年の間に世代が進み二世、三世と意識が変わって「この街が、ふるさと」となっているのだなとあらためて感じました。
ところで、横浜ユーラシア文化館はユーラシアというだけあって守備範囲が物凄く広いです。東アジアにあまり興味のない方でも常設展の西アジアはヨーロッパ的で全く違う雰囲気があり、私はこちらも興味深くて好きです。館内はだいたい空いているので安心してゆっくり見られるのも良いところです。
コロナが長引いているせいか分かりませんが、最近何だかいつも疲れているような気がします。身体と心のバランスをとりながら健康でいたいと思っています。
“[展覧会] 横浜中華街・160年の軌跡” に対して2件のコメントがあります。
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いつもありがとうございます。この時期出かけた記事を書くのも気が引けたのですが。
おっしゃるとおり他国との関係って難しいですね、その難しさがダイレクトに影響するのだから辛いだろうなと想像できます。政治と文化は別ということもありますし。
でも、最近は中華街に全国どこでもあるような店が増えない方が良いのにな、と思うくらい十分日本的かなとも思います。
中華街は私も好きな町です。中国で日本企業が攻撃された事件があった頃、中華街での食事をキャンセルして別のレストランを予約しなおした友人がいて、どうして?と思ったら「なんだか中国って嫌だから」。コロナが始まったころ、中華街で予約してあった集まりが他のレストランに変更になり、どうして?と聞いたら「怖いから」と。こんな感じで本当に気の毒になってしまいます。それでもいろいろな災難を乗り越えて、今の横浜中華街があるのですね。世代がかわっても、ここが「ふるさと」だという意識がずっと続いていってほしいです。それが文化というものですものね。