「カラヴァッジョ展」

 東京国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」を見てきました。

 一度にこれほど沢山のカラヴァッジョ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 1571~1610)の作品が来日し、さらに2014年に真筆とされた《法悦のマグダラのマリア》は世界初公開との事で心待ちにしていました。

 会場は風俗、静物、肖像、光などジャンル別に構成され、全体としてはカラヴァジェスキ(カラヴァッジョの模倣者、影響を受けた者)の作品の中にカラヴァッジョが点在するという感じでした。

 印象に残ったのは《ナルキッソス》 《果物籠を持つ少年》 《エマオの晩餐》 《法悦のマグダラのマリア》 《メドゥーサ》です。

 《ナルキッソス》は、自分に恋するナルキッソスが水に映った自らを抱きしめようするように左手を水面に差し入れています。構図の面白さと突き出た膝が如何にも象徴的です。甘美というより思いつめた青年の奇妙な迫力のある作品でした。

 《果物籠を持つ少年》は果物籠がメインになっていて果物や籠の見事な質感は見応えがありました。カラヴァジェスキの果物もありましたが、比較するとやはり冴えが違うなぁと思いました。

 《エマオの晩餐》は光と闇の強烈なコントラストで明暗法(キアロスクーロ)を効果的に用いた作品です。

 全てが光に満ち細部まで描かれているようなルネサンス絵画とは違い、スポットライトのような強い光で見せたいところを強調しその他はバッサリ切り捨てたという感がありました。

 また、キリストという聖なる存在といえども私たちと同様に血肉のあるものとして描かれているのが印象的でした。それは別の聖人を描いた作品にも感じられたところで、モデルに娼婦や貧しい人などを使ったと言われていることによるかもしれませんが、当時「聖人を俗に引きずり下ろした」という批判があったのも頷けます。

 しかし、だからこそ画面上のでリアリティというのではなく、見ている人たちと地続きのリアリティがあり衝撃的だったのではないかと思いました。

 カラヴァッジョは些細な事で激昂して諍いを起こし警察沙汰になることが多く(資料の展示あり)その挙句殺人まで犯してしまいます。そして逃亡を繰り返し行く先々で作品を残すという特異な画家でした。常軌を逸した性格が尋常ならざる作品を生んだ典型例なのかもしれません。

 《法悦のマグダラのマリア》は正にカラヴァッジョ自身の悔恨と迫り来る死がダイレクトに描かれた作品で、自らが逃れられなかった業の深さを投影しているようでした。死人のような皮膚や名状しがたい表情は不気味なほどで、異様な緊張感がありました。

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 カラヴァッジョにとって死や殺人、斬首、血といったものは常人とは違う感覚で捉えられていたと思います。逃亡生活をしていては無理もありませんが。

 《メドゥーサ》は円形の盾に血の滴るメドゥーサの首が描かれたもので、大きさと形はちょうど中華鍋を逆さにしたような感じです。球面の一番高いところが鼻の一番高いところになっているので浮き上がるような立体感があり、一層生々しく見えました。取り憑かれたような目が何ともインパクトありました。

 昔からカラヴァッジョが好きで、その神がかったテクニックに惚れ惚れしていましたが、今回はそれも然ることながら作品の革新性と次代を牽引するエネルギーの強さに圧倒されました。

 GWに入る前に見に行ったのですが、もう一度じっくり見てみたい展覧会でした。

 東京国立西洋美術館 「カラヴァッジョ展」

 「カラヴァッジョ展」” に対して4件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >monksiiruさん
    お久しぶりです。
    若冲展行かれたのですね、やはりかなりの混雑ですか。
    行きたい気持ちもありますが動植綵絵は何回か見たことがあるので今回はパスしようかなぁと…。

    役員さんの2年は長いですね、お疲れ様でした。ウチは1年ですけれどそれでも負担ですから開放感お察しします。

  2. monksiiru より:

    kyou2さん、お久しぶりです。
    カラバッジョ展に行かれたのですね。私も4月に上野公園に行き、若冲展の後に観ようと思っていたのですが、若冲展の余りの混雑に一緒にいた母も人ごみ疲れしてしまい、涙を呑んでカラバッジョ展をあきらめたんですよー。kyou2さんのブログを見て無理しても観ておけばよかったとちょっと後悔しています・・・。
    追伸、2年間の自治会役員が4月でやっと終わったので、また、展覧会にいろいろ足を運ぼうと思っております。
    では、またお邪魔させていただきます。

  3. kyou2 より:

    >ワインさん
    >それはカラバッジョの生涯からの連想で、実際はとても内面的に深い絵ばかりだったと感じました。
    本当にそのとおりで、私もそう感じました。つまらないことで激高したようですけれど、絵には軽々しさは微塵も感じられませんよね。にわかに異なる2つのカラヴァッジョが結びつかないです。天才の不思議なところかもしれませんね。

  4. ワイン より:

    カラバッジョ展は、私ももう一度見に行きたいと思っています。とても印象深く心から見に行って良かったと満足できる展覧会でした。ナルキッソスはおっしゃるとおり甘さというよりも自分自身の心を見つめる青年のような雰囲気が漂っていましたね。実際に展覧会で絵を見るまでは、もっと生々しく俗っぽい絵を想像していたのですが、それはカラバッジョの生涯からの連想で、実際はとても内面的に深い絵ばかりだったと感じました。どうしてあのような構図で描けるものなのかと、本当に神がかったテクニックですね。

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