王をめぐって
中世・近世に「王」の身体はどうとらえられ、「王」の肖像はどう描かれていたか。
著者は王とは何よりも身体であり、身体的な存在であるという。身体性を論じる事によって王の歴史を考察する手法がとても興味深かった。
「籠る・裏む(つつむ)・隠す」ということ。中世<穢れ>意識の拡大が、人々のしぐさや被り物に身分的標識を与えていたという。
僧兵の裏頭(かとう)、癩者・宿の長吏(犬神人 いぬじにん)の覆面の登場、扇や袖で顔を隠すしぐさが一般化した社会でもあるそうだ。
では王の禁忌、タブーはというと、日食月食の妖光に身を晒さないこと・・・というのがある。
中世的な<王>の身体性を一番象徴していると思われることに注目したいと考える。それは、日食・月食に際して、天皇の御所を席(むしろ)で<裏む>作法である。<王>の身体を象徴的に席で<裏む>この作法は、<穢れ>の視点から中世<王権>みつめることにつながるからでもある (P25)
また、この日食・月食に際して裏むという行為を、天皇の他に将軍(一時的に摂関家)にも行なわれていたということで、将軍もともに王であると認識されていたことになるわけだ。
なんとも不思議なことが行なわれていたのだなぁという感じだが、天皇の身体の安穏=日本国の自然と社会の秩序が正常に保たれること、であるから最重要事項であったに違いない。
存在を清浄なものに保つ行為というのは、正に人ではなく神として扱われていたのだと改めて感じさせる。
中世の天皇や為政者の死は「天下触穢」、近世の「鳴物停止(なりものちょうじ)」に受け継がれ、さらに昭和天皇崩御に際してもそのような「自粛」があったと思う。
将軍がいなくなり、いわば<王>としての特別扱い「鳴物停止」が行なわれているのが天皇だけになってしまったわけだ。天皇は勿論王ではないけれど、王的なものであることは間違いないことになる・・・
この他印象的だったのは、冠の上に天子の象徴を重ね、密教法具をもち、さらに神仏としての御張、狛犬までも配した異形の「後醍醐天皇像」(清浄光寺=遊行寺)
「後醍醐天皇像」
一体誰が、いつ、何の目的でこの不可思議な天皇像を描いたのか・・・
もう一つは、洛中洛外図の江戸版といった感じの「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)
六曲一双の大画面に、左雙は江戸城を中心に神田、日本橋、京橋、江戸湊など、右雙は上野、浅草、川越城などがびっしりと細密に描かれている。
中でも、各大名屋敷の前の人だかりに「お家」の事情が反映されている、との指摘は面白かった。
こちらも、いつ、誰が、誰の為に華やかな江戸を描かせたものか、・・・
あとがきで著者は、収録したものは全て試論(エッセイ)であり、全体が次の展開を目指しているとあった。
なんて凄いエネルギーなんだろうと感嘆するばかりだ。