[本]『横浜華僑社会の形成と発展』  

『横浜華僑社会の形成と発展』 伊藤泉美/著 山川出版社

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30年以上ライフワークとして横浜中華街や横浜華僑について研究している妹が、去年その研究成果を一冊の本にまとめ上梓しました。

学術書ではありますが素人の私が読んでも興味深く、惹き込まれるものがありました。そう感じるのは、横浜で生まれ育った者として中華街がエキゾチックで特別な場所である反面、家族の懐かしい思い出がある場所でもあるからかもしれません。

横浜華僑の歴史は、幕末の横浜港開港時に西洋人と日本人との通訳や仲介者(買弁)としてはじまります。その後、日清間の友好な時代で成長し、日清戦争の勃発では緊張が高まり、関東大震災で壊滅的な被害を被りました。そしてそこからも復興と、何度も困難や天災・人災に遭いながらも連綿と続き、横浜華僑社会・横浜中華街は発展し続けています。その原動力、理由はいったいどういうものなのか、歴史的な観点や著者の言うところの「華僑社会を支える装置」という観点から明らかにしていきます。

読み進めるほどに、中国社会と日本社会、両方にリンクして生きる華僑という存在の危うさや難しさが浮き彫りになりますが、いつの時代でも個々人の知識と経験に加えて血縁、地縁、同業などの様々な繋がりを持った団体・ネットワークを駆使して生き抜いてきた華僑独特の力強さに圧倒される思いがしました。

また、興味深かったのは幕末の開港当時の地図でした。

先ず地図を見るとすぐに分かるのですが、海があって海岸線と平行に道があり、さらにそれに対して直角に碁盤の目が出来て街並みが出来上がっています。ところが現在の中華街の元になった旧横浜新田地区の開発では既存の街並みの碁盤の目に対して45度斜めに(風水的には正しく南北を向いているそう)なっています。地図で見ると一目瞭然で、まるで楔を打ったような形にはっきりと見て取れるのが興味深かったです。

以前読んだ本で「絵巻物などで床が格子模様(◇四角いタイル)に描かれていたら、それは異国・異界を表すコード」というのを思い出し、地図をパッと見て分かる違いは異国なのかと感じました。

こちらも面白いです→ 官報「開港のひろば」展示余話 中華街斜め考

さらに人が暮らしていけば生老病死あるわけで、横浜華僑社会が成長する過程で徐々に社会インフラが整っていきます。

例えば病院、学校、墓地などがありますが、著者は公文書などの文献はもとより、新聞記事や古写真など膨大な資料から一つ一つ丹念に事実を拾い上げて提示、う~ん、読み応えがありました。

特に、華僑の葬祭の「帰葬」という葬祭習慣は初めて知るものでした。帰葬というのは海外で亡くなった中国人の棺柩を義荘で仮安置した後、それぞれの故郷に回送し生まれた土地の土に帰すことだそうです。船便でお金持ちが自己負担で速やかに回送する場合もあれば、何年か仮安置して数が揃ってから纏めて回送する場合もあるとのこと。「何としても帰る」という郷土への想いは計り知れないものがあるようです。

しかし時代とともにその習慣もなくなるわけですが、その原因の一つとして中国生まれの一世の時代が過ぎ、二世、三世の時代になると「横浜が故郷となるから」とありました。そこには紛れもなく人や家族の歴史があるのだなと感じました。

著者は「横浜中華街の歴史には、今後、加速する多文化社会日本の将来を考えるヒントが隠されているに違いない」と書いていましたが、なるほどそこには生きた知恵が詰まっているように思いました。