「レオナルド×ミケランジェロ展」

 先日、丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「レオナルド×ミケランジェロ展」を見てきました。

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 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)とミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)の素描(ディゼーニョ、デッサン)が見られるなんて、こんな素晴らしいことはありません。

 

 会場に入るとすぐに本展の目玉であるレオナルドの《少女の頭部/〈岩窟の聖母〉の天使のための習作》とミケランジェロの《〈レダと白鳥〉の頭部のための習作》がありました。

 「うわ~、いきなりか、心の準備ってもんがあるじゃないか」と思いましたが、ここは動揺を鎮めてしっかりと目に焼き付けなければ勿体ないというものです。

 先に展示されていたのはミケランジェロの《〈レダと白鳥〉の頭部のための習作》。描かれているレダは女性ですがモデルは男性で、女性らしさを表すために目元だけを描いたものには睫毛が目立つように描かれているそうです。

 もともとミケランジェロの女性は逞しく中性的に見えますが、レダからは性別を超えた人間の美しさを感じました。頭蓋骨の形や量感、その上にある繊細な筋肉の緊張感、さらにそれらを覆う滑らかな皮膚、その全てを慎重に正確に感知して、丹念に写しとっている素描は神業としか思えません。見れば見るほど美しく、力強く、品格がありました。

 次はレオナルドの《少女の頭部/〈岩窟の聖母〉の天使のための習作》です。左上から右下へのハッチングが創り出す人物の存在感は、まるで平面の紙からその部分だけ3次元の空間があるかのようです。加えて女性らしいしなやかな首のひねりや、眼差しが複雑さを増していてどこか深遠な雰囲気でした。

 ハッチングの手数が少ないのにこれほどまでに完成度があるのは、金属尖筆の色や黄褐色に地塗りした紙、鉛白によるハイライトが効果的使われているからなのだと思いました。

 ハッチングというのは立体感や陰影などを表す細かな平行線で、左利きのレオナルドは左上から右下へのハッチングが特徴的で、ミケランジェロはクロスハッチングになっています。

 二作品を見ただけで今日やるべき事は達成できたという気持ちでしたが、他にも画集でしか見たことがないミケランジェロの素描があり感激も一入。 

 印象に残ったのはミケランジェロの《イサクの犠牲》で、神に息子を殺せと言われたアブラハムが信仰のために息子を殺そうとして、その寸前に天使が現れ止められる。という場面を描いたものです。

 抗うイサクのポーズは決定されておらず、流動的な線が重なっていて試行錯誤の跡が見えます。さらに裏面までにまで表の形をなぞるように描かれており、天才といえども優れた作品を生み出すには苦労がある事を伺わせるようでした。

 他にも《背を向けた男性裸体像》は躍動感と筋肉が美しく完璧で、これぞディゼーニョのお手本といった感じ。《衣をまとった人物像の習作》はクロスハッチングが布目と相まって素晴らしかったです。

 

 余談ですが、展示は3Fから始まり最後が1Fになっています。監視員の方に確認したところ「2Fと3Fは行き来できるが最後の1Fに行ったら3Fには戻れない」とのことでした。なので、注目のレオナルドとミケランジェロの二作品はもっと見ておけば良かったと後悔しないように、3Fにいる間に何度かじっくり鑑賞しました。

 

 展示の合間に両巨匠の言葉が掲げられているのですが、それがまた流石に凄いのです。

 どうもミケランジェロ贔屓なのですが、「アントニオ、素描しなさい。素描しなさい。アントニオ、素描しなさい、時間を無駄にしないで。」という言葉は、絵画や彫刻全ての創作活動はそこから始まるという事や、地道な努力の必要性を端的に伝えていると思いました。

 もう一つ、「彫刻と言いますのは、削り取っていく種類のものを言っているので、付け加えていく種類の彫刻は絵画と同じものです。」というのも鋭い指摘。ふと、ジェコメッティの細く削り取られたけれど存在感のある彫刻が脳裏に浮かびました。

 展覧会は一人で行く事が多いのですが、それ以外はほどんど親友のMさんと二人。で、今回は二人でした。見終わって時間があったので原宿へ行って浮世絵専門の隠れ家的美術館「太田記念美術館」へも行ってきました。ちょっとハードでしたけれど、Mさんいつもありがとう。 

 三菱一号館美術館「レオナルド×ミケランジェロ展」