「クライドルフの世界」展
横浜のそごう美術館で開催している「クライドルフの世界」展へ行ってきた。
エルンスト・クライドルフ(1863~1956)はスイスの絵本画家で、会場には初期から晩年までの絵本の原画を中心に、水彩や油彩など多数展示があった。また、絵本を読むスペースもあり、静かな時間を過ごせる場所になっていた。
クライドルフの絵本作品は、登場人物が擬人化された植物や昆虫だというのが一番の特徴だ。さらにその植物や昆虫は、種が特定できるほど正確に描かれているのが素晴らしい点だ。愛情と尊敬の念をもって対象を観察し、理解し、正確に描く技術。更にそれを洗練し擬人化するセンス。これらが見るものを魅了する「クライドルフの世界」を支えているのだと思った。
展示の最初に、初期に描いた家族の鉛筆デッサンがあった。的確で無駄のない描写は、外見のみならず人物の性格まで感じることができた。
しかし、クライドルフが20代後半から、最愛の姉、祖母、弟、母が次々と亡くなるという不幸があった。それが彼の作品の底流に流れる哀しみや儚さ、死といったものに大きく影響しているように思った。クライドルフの明るく美しい色彩は大変魅力的なのだが、そうではない一部の油彩や水彩に見られる「底なしに暗い色」も大変印象に残った。
絵本の中では最初の作品『花のメルヘン』(1898)と、『アルプスの花物語』(1922)が良かった。
ある時、クライドルフは谷間で季節外れに咲いたプリムラと春咲きリンドウを見つた。感動して摘んで持ち帰るがすぐ後悔して、少しでも花の命が永らえるように絵に描いた。それが『花のメルヘン』の一場面となったということだ。
『花のメルヘン』は1つのストーリーというわけではなく、一場面ごとに完結した内容になっていて、《プリムラの花園》では黄色いプリムラの花園を、プリムラ殿下とリンドウ妃が仲睦まじくお散歩をするという絵になっていた。
プリムラ・エラティオール
《夜のぬすびと》では、夜陰に紛れて盗人がオドリコソウの花を靴(つま先の反り返った靴)にしていたり、タンポポの綿毛を帽子にしていたりする絵だ。オドリコソウは日本では傘をかぶった踊り手と見立てた名前だそうだが、靴というのも納得だ。
オドリコソウ (画像は 季節の花300)
オドリコソウ (画像は 季節の花300)
『アルプスの花物語』は、神話からの着想や1918年に終わった第一次世界大戦の影響など、不安や死をテーマにしたものが印象に残った。作品の色彩も深みのある色合いで、重みのある作品が多かった。
《アドニスの埋葬》では、ゼウスの怒りをかってイノシシに殺されたアドニス(フクジュソウ)を、オキナグサたちが埋葬している絵だ。掘られた墓穴に、白い布に包まれ青い顔したアドニスがそっと置かれようとしている。傍には小さなスミレが地面に突っ伏して泣いている。健気に一心に悲しむ様が何とも言えずいじらしく心に残った。
オキナグサ
オキナグサ(タンポポのような綿毛 名の由来)
《峡谷にて》では、崖に挟まれた急流にアスターの赤ちゃんが落ちて流されている。どこに行き着くか分からず、皆は不安な面持ちで眺めるしか術は無い。
しかし、クライドルフは赤ちゃんをそっと枯葉に包んだ絵を描いた。そこに小さな命を大切にする優しさと、どこかの岸へ着くようにとの希望を感じた。
“「クライドルフの世界」展” に対して2件のコメントがあります。
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>みちこさん
> クライドルフは、絵本にする作品を書くというよりは、自分の心が捕えたもの全てを吐き出すように書いていた気がします。
そうですね。吐き出し絵にすることで、随分自分自身が楽になれたような気がします。
> 子ども向けではない、と批判されたのも納得です。
> また、嘘をつけない、こびることのできない作品だからこそ、子どもに見せたい作品とも言えますね。
そもそも絵本は大人も子供も同じように感じることが出来るためのものだと思います。
大人がズシンと感じるものは、子供もズシンと感じて、それで親子で共感すれば一番いいような気がします。
私も展覧会に行ってきました。
クライドルフは、私たちのイメージするメルヘンの作家ではなく、現実の世界を植物や昆虫に例えたものでした。
それは、彼が、実際に自然の厳しい世界を見ていたせいなのか、自然と自分の周りの現実が投影されたものなのかは分かりません。
優しいあどけない顔の花と、いじわるな花、謹厳な花。
そして、槍を手にして戦う場面の多いこと。死神の多いこと。
kyouさんの指摘されているように、底なしに暗い絵があり、これは印刷できたのかしら?とこちらが心配してしまうほどでしたので、クライドルフは、絵本にする作品を書くというよりは、自分の心が捕えたもの全てを吐き出すように書いていた気がします。
子ども向けではない、と批判されたのも納得です。
また、嘘をつけない、こびることのできない作品だからこそ、子どもに見せたい作品とも言えますね。