『感染症の中国史 -公衆衛生と東アジア』

感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア (中公新書)

『感染症の中国史 -公衆衛生と東アジア』 飯島渉 (中公新書)

縁あって手にとることに。

まず、帯に書かれた「東亜病夫(とうあびょうふ)」という言葉の意味が分からない…。

前途多難で読み始めたが、結論から言えば、中国と日本の意外な関わりを知ることができ、門外漢の私にも実に興味深く読むことができた。

内容は冒頭にある「本書は、感染症の流行という視角から、中国や東アジアの歴史、とくに一九世紀から二〇世紀の歴史を読み解く試みです。」に簡潔に示されている。

また、ここで取り上げられた感染症は、当該地域に流行したペスト、コレラ、マラリア、日本住血吸虫病となっている。

注目するのは中国が感染症対策として、一足早く西洋医学を取り入れていた日本の公衆衛生制度を取り入れたことだ。

帝国日本モデルを取り入れることで、中国は感染症制圧に一定の成果を上げ、日本は台湾をはじめとする植民地支配を強固なものにした。

植民地の人々にとって恩恵をもたらす感染症対策は、列強が中国に内政干渉するための手段として使われ、感染症の政治化と見ることができるという。

個人の肉体的、精神的問題、植民地支配する側される側の問題、感染症対策が多くのものを孕みながら歴史を刻んできたということを知ることができた。

「マラリア」と聞いて思い出したのは、ヘルパーでお世話させていただいた男性の話だ。

中国大陸での野営では、まず、テントから離れたところに細長く溝を掘る。そこがトイレで、毎日皆が並んで用を足すのだそうだ。

飲み水はドラム缶に貯めておくのだが、ボウフラが湧くので必ずドラム缶の縁をコンコンと叩く。そうするとボウフラがスーと下に沈む。そこで素早く上澄みを掬うのがコツだと、繰り返しお話くださった。

この方の弟さんはマラリアで亡くなられたと聞いた。

本書でも日本兵が戦闘で亡くなるだけでなく、現地で感染症に罹り命を落とす戦病死がいかに多かったかが記されていた。

感染症対策は日本軍にとっても必要欠くべからざるものだったのだ。

マラリアはヒトが森林を開発したり、農業をしたり、自然環境に働きかける中で発生する感染症で、こうした特性を持つものを「開発原病」というそうだ。

第二次世界大戦後、マラリア対策が世界で進められ撲滅したかに見えたが、地球温暖化による流行地域の拡大や、薬剤耐性マラリア原虫の拡大など、現在進行形の脅威であるという。これを「ロールバック・マラリア(マラリアの再興)」と呼ぶのだそうだ。

「マラリアが人類に何を語りかけているのか、私たちはそれに耳を傾ける必要があるようです。」との著者の言葉が印象的だった。

もう一つ、帝国日本モデルを取り入れ、公衆衛生の近代化をすすめた中国と、植民地医学で学問的成果も得られた日本、両国のその後のあり方は考えさせられた。

…戦後の日本は、近代日本の植民地医学をほぼ継承しました。しかし、戦後の感染症や寄生虫の研究の基礎に植民地医学があったことは、封印されます。そして、中国も日本住血吸虫病対策に日本の植民地医学が関係していたことはこれを封印したのでした。 (p187)

歴史の薄皮を一つ剥ぐと、下には幾重にも様々なものが隠されているのだなぁと思った。

最初に書いた「東亜病夫」というのは、二〇世紀初頭になっても前世紀の感染症であるコレラの流行を克服できない中国の政治や社会を示す言葉だそうで、西洋人や日本人が使った蔑称だ。

ところが、アヘン戦争で実際に中国と戦ったのは多くは英領インド軍のインド人で、コレラは他ならぬ彼らによって中国に持ち込まれることになったそうだ。これはあまり知られていないと本書に記されていた。