『世界がわかる宗教社会学入門』

世界がわかる宗教社会学入門

『世界がわかる宗教社会学入門』 橋爪大三郎 (筑摩書房)

‥‥日本人は、宗教を、知性と結びつけて理解することができなかった。

これは文明国としては、めずらしい現象かもしれない。

日本人にとって、宗教は知的な活動でないから、病気や災難にあって困っているひとの気休めか、人をだます迷信ということになる。だから、外国で、人びとが熱心に宗教を信じていることが、理解できなくなる。そこで、宗教とはなんだろう?という疑問を、もつようになる。

そういう素朴な疑問は、そろそろ卒業にしよう。  (p10~11)

私はそういう素朴な疑問満載だったので、卒業できるかどうかは別として、まあ、読んでみようと思った次第。

本書は大学の講義をもとにしたもので、語りかけるように書かれていて、とっつき易いのがありがたかった。

内容は、宗教社会学とはなにか、から始まってユダヤ教、キリスト教、イスラム教、初期仏教、中国と日本の仏教、儒教、尊皇攘夷など。

まず一番に感じたのは、宗教は今を生きる人間にこそ必要なもの。ということだ。

そう考えると、死んだときにしか宗教のお世話になっていないような日本の現状は、本来的な宗教とは全く違うものだと思った。それが当たり前のようになっていること事態、不思議な有り方だなぁという感じがした。

社会が急速に変化している中、今後どのように変わっていくのか、ちょっと興味がある。

私は初めて知ったのだが、仏壇に先祖の位牌を祀るのは、仏教ではなくて道教のやり方だそうで、高価な戒名をつける習慣が普及したのも戦後のことだそうだ。

世界各地で生まれた宗教が、人間の知性を育て、それぞれの文明や文化を生み出す。宗教が個人や社会を動かす原動力になるものだと再認識できた。

同時に、宗教の大きさを知れば知るほど、日本がよくここまで発展してきたものだという感じもした。現在はかなり色々な面で綻びがあるように思えるけれど。

何が日本人の一人一人を支えてきたのだろう、それぞれ何を信じているのだろう。

私は何を信じて毎日暮らし、何を拠り所にして色々な判断をしているのだろう。

子供のことで悩んだとき、この選択でよかったのか、悪かったのか、いつも悩む。

この選択でよかったのだという、確信が欲しい。

う~ん、結局、個人的な問題に終わったか‥‥。