真実の欠片
『道ばたでひとり芝居』 森山いつき (文芸社)
家族のこと、職場のこと、身の周りの細々したこと、どんな事を書いてもどこか「軋み」があり、それがあちこちで音を立てているようなエッセイだ。
著者は、強すぎる自意識に苛まれつつ、それを自分自身で茶化してみせる。
晴れ晴れとした、高らかな笑いではないけれど、誰でも心の内にそんな自嘲的な笑いを抱えているものだ。
だから、「あぁ、分かるなその気持ち」と共感を覚えるのだ。
本当は女性だって母なるものなんかになりたくないのだが、心の中に住む母親に褒めて欲しいのだ。
「あなたのことを考えて言っているのよ」
「困るのはあなたなのよ」
「わたしが居ないと困るくせに」
カモフラージュされた大義名分は、だからいつだってせっぱつまって押し付けがましく、そして威圧的だ。自分が居なくても誰も困らないとなると、困るのは我が身なのである。 (p129)
母親とは因果なものだと思う。子供にとって、その存在は一生一筋縄でいかないもだ。
母親も誰かの子供で、みな順繰りだ。そうやって人間というものを学んでいくのだろう。
ただ、親は子供の庇護者ではあるが、支配者になってはならない。それと「困るのは我が身」というような子供に依存はもっといけない。
親子でよい関係を築くことができれば、他人との関係も楽々クリアできるように思う。それほど親子関係は抜き差しならない難しいものだ。
著者が書くのは、ごく普通の日常の出来事が多い。
共感する反面、「ふ~ん、そんな風に思うのか、私は全然そう思わないなぁ」というところもあったりして、面白い。
例えば、電車に間に合うかギリギリのシーンでは、ことさら悠々と階段を下り、乗るつもりではなかったかのように振舞うという。
‥‥髪振り乱して走ったものの、すんでのところで間に合わなかった時の、身の置き所がない。
「閉まっちゃえばいいのに」
「ホーホッホッ、いい気味。間に合わなかった」
乗客の視線がこちらに向かってそう念じ、小気味よく笑っているようで、悔しいのである。 (p164)
ここは思わず笑ってしまった。私は、他人は自分なんぞ歯牙にもかけない、と思うタイプなのだ。
どうしても乗りたかったら猛ダッシュ!(と言っても足は遅い‥)
乗れなかったら、きっと普通に残念な顔をするだろう。
どうせ流れていくだけの人に、あまり気持ちはいかない。相手も同じだろうと思う。
著者は、自分を「底意地が悪い」と書いている。なるほど辛辣で、子供の頃からかなりの策略家だったようだ。
けれど、自分を底意地が悪いと表明出来る人はなかなかいない。自分を深く見つめて初めて告白できることだ。
エッセイはいくつものひとり芝居、その中に著者の真実の欠片があるように思った。
以前から時々お邪魔していた著者のHP。本書はそこに発表されたエッセイを元に書籍化されたものだ。
「TOMATOの手帳」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kotonoha/
「気ままな日記」