日向子さんの江戸、三冊

うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」

『うつくしく、やさしく、おろかなり ―私の惚れた「江戸」』 杉浦日向子 (筑摩書房)

まるで見てきたかのように語られる江戸の粋、遊び、暮らし、食べ物。流石に惚れただけの事はあるなぁ、といった感じだ。

様々な江戸事情の表も裏も、日向子さん(何となくこうお呼びしたくなる雰囲気)の柔らかくユーモアを交えた言葉で教われば、楽しさ倍増というものだ。

しかし、「江戸の昔は良かった」などと、私達が絶対的優位から奢った見方をすると、ちょっと待てと釘を刺される。

つよく、ゆたかで、かしこい現代人が、封建で未開の江戸に学ぶなんて、チャンチャラおかしい。私に言わせれば、江戸は情夫だ。学んだり手本になるもんじゃない。死なばもろともと惚れる相手なんだ。うつくしく、やさしいだけを見ているのじゃ駄目だ。おろかなりのいとおしさを、綺堂本に教わってから、出直して来いと言いたい。

江戸は手ごわい。が、惚れたら地獄、だ。 (p16)

「おろかなりのいとおしさ」か。淫しているな、危ない、危ない。理屈じゃないこういうことが身を滅ぼす。

とは言うものの、惚れたものの一つも無くて何の人生ぞ、とも思う。

平賀源内は人の一生を「寝れば起き、おきれば寝、喰うて糞(はこ)して快美(きをやり)て、死ぬるまで活きる命」と戯作に書いた。

日向子さんは“恐ろしくドライな、呆れ返る程、あっけらかんとした、身も蓋もない、ブッチギリの明るい諦観ではありませんか。”といっている。

私も明るく諦観して、十二分に現世を楽しむ。それこそ生きる醍醐味と思う。

隠居の日向ぼっこ

『隠居の日向ぼっこ』 杉浦日向子 (新潮社)

江戸には春夏秋冬、それぞれ日常に欠かせなかった物や習慣があった。

例えば、きせる、手拭、蚊帳、釣忍、団扇、湯屋、かわや、火鉢、火箸など50項目も並ぶ。

一つが2、3ページのエッセイなので、すいすい読める。おまけに各々楽しい漫画や挿絵がついていて、嬉しい限りだ。

「おやつ」のところから引用。

一日の例で言えば、おめざ、朝飯、茶の子、昼飯、おやつ、夕飯、夜食、と七回の食事時がある。

 ちょくちょく休憩しても、結果、良い仕事となればいいのだから、「休み時間を削ってまで働く」のを美徳とするのには反対だ。

 ちなみに、茶の子もおやつ同様、菓子そのものも指し、「お茶の子さいさい」は、菓子をつまむように手軽なことをいう。 (p112)

なるほど、茶の子はブランチくらいの感覚か。現代は二つを一つにまとめているが、どちらが豊かでゆったりとしているのかは微妙なところ‥‥。

「お茶の子」の意味は分かった。で、「さいさい」は何だろう?

杉浦日向子の江戸塾 (PHP文庫)

『杉浦日向子の江戸塾』 杉浦日向子 (PHP文庫)

こちらは杉浦日向子を江戸の師匠と仰ぐ作家をはじめ、仲間6人による対談集。

それぞれテーマがあり、例えば北方謙三氏とは化粧、ファッション、カッコいい男たちや色恋について。

宮部みゆき氏とは食、酒、旅や信仰について。などなど。

当代の売れっ子作家達がどんなことを質問しても、師匠は即座に回答してくれる。その鮮やかなこと。

長屋で朝ご飯を炊くのが亭主の鑑、三行半は女が書かせた再婚許可証だったなど、目からうろこ、パワフルで生き生きとした江戸の実相が見えてくる。

対談後、宮部氏と担当者は「絶対、ご自宅は江戸にあるんだよね‥‥」と話したと、あとがきにあった。

もうこちらにはお出でにならないのが、とても残念に思える。

前の記事

人間ならでは

次の記事

真実の欠片