人間ならでは

20世紀日本怪異文学誌―ドッペルゲンガー文学考

『20世紀日本怪異文学誌 ドッペルゲンガー文学考』 山下武 (実業日本社)

ドッペルゲンガーは同一人物が同時に異なる場所に現れる不可思議な現象だ。

大きく分けて、第二の自我ともいえる西洋的自我の分裂型と、生霊といわれる日本的霊性型、それと純粋な分身があるように思う。

本書では文豪をはじめ、数本の作品のみで消えてしまった作家まで総勢40名の作家が載っている。

構成は作家と作品のあらすじの紹介というパターンの繰り返しで、流石にやや飽きる感じもあったが、未読の谷崎の『金と銀』など、是非読んでみたい作品もいくつかあった。

私はどうもドッペルゲンガーが出てくる小説に惹かれてしまう。

梶井基次郎の『Kの昇天』や鏡花の『春昼・春昼後刻』などは全く違うタイプのそれが出てくるが、どちらも恐ろしいほど美しい小説だ。

現代人の多重人格振りから見れば、単純な自己分裂の話かもしれないが、自己を客観的に見るということは、程度の差はあるが誰でもすることで、自分が自分を見てしまうドッペルゲンガーは、その最たるものかもしれない。

鏡花の小説じゃないけれど、誰かと思って覗いたら、そこに居るのは自分だった‥‥というのは本当に恐い。

私は一度だけそういう経験がある。

といっても、当時とても疲れていたので、単純な見間違い以外の何物でもないバカバカしいものだが、かなりショックだったので覚えている。

もう十数年も前の話だけれど、会社の帰りに電車を降りていつもの駅前広場の信号を渡ろうとした時の事。

信号の向こうにあるショッピングセンターの二階の喫茶店に座っている人と、ふと目が合ってしまって、それが自分の顔だった。

それは、それはビックリしてしまって、もう一度見直したかどうかよく覚えていないし、本当にそこに人が居たのかもよく覚えていない。

ただ、かなりの距離があったのに、「目が合った人の顔は自分だ」と思い、見られているという意識があった。

たぶんその頃、色々と嘘が多い生活をしていたので、毎日いくつかの自分を意識していたのかもしれない。

だからそういう錯覚を起こしたのだ。と今では思っている。