異を放つ人々

サントリー美術館で見た屏風絵には、中世以来の人々の衣装やしぐさが多く見て取れて、一層興味を持った。

そんなわけで何冊か読んだ。

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

『異形の王権』 網野善彦 (平凡社ライブラリー)

婆娑羅はもともと非人が他の人との違いを明確にするためのに、派手な柄を纏ったものが、色々な階層の人に流行したものだ。

そして非人をふくめ、異類異形を積極的に自らの「戦力」に取り込んでいたのが、後醍醐天皇だ。

本書は「異形の風景」「異形の力」「異形の王権」と順に書かれているが、読み進め「異類異形」を知るにつれ、その頂点であった後醍醐が如何に際立った特異な存在であったかが分かる。

また、男女の性のエネルギーをも自らの力として取り込もうとしたとは、いかなる目的があったのか、そこまでしなければならない切実な王権の危機とは何だったのか、大いに興味が湧いた。

異類異形の中心人物が天皇であったこと、それが日本史の中でも一大転期であったことは、日本人にとって意味深いことのように感じた。

非人と呼ばれた人々はもともと、神仏や天皇に直属民で、彼らは死穢、産穢に関わる仕事を初め、特別な仕事をする職能民であったのではないかということだ。

彼らは天皇の「聖性」のもとに畏怖される存在であったが、南北朝動乱以降、天皇の「聖性」が消えていくのとリンクして賤視、差別される存在へ移行していったという。

恐れが消え、単に異なるものへの嫌悪だけが残ったのだろう。それは人間が根源的に持つ暗部の表れのようにも思った。

異類異形の姿といえば、まず色々な種類の覆面だ。時代は下るが、サントリー美術館で見た《阿国歌舞伎図屏風》にも覆面姿、扇を使う人が多く描かれていた。

また上の画像にもある「扇の骨の間から見る」というしぐさについて

それ故に、扇は『絵引』の解説がいうように、外から悪霊―穢の及ぶのを防ぐとともに、内から発するそれをもさえぎる道具となりえたのであり、そうした機能を持つ扇で面を隠すことによって、人は一時的にせよ、別世界の人間になりえたのではなかろうか。 (p115) 

様々な覆面で顔を覆う、袖や扇で顔を隠す。自分と自分を取り巻く世界の薄布一枚の攻防。たかが一枚されど一枚といった感じか。