お話は楽しく深く大胆に。
『日本の神話と十大昔話』 楠山正雄 (講談社学術文庫)
本書は、明治末から昭和にかけて独特の仕事をした楠山正雄がライフワークとして編んだ『日本童話宝玉集』の一部を現代に再現したものとのこと。
『日本童話宝玉集』は著者が、神話、伝説、童話など子供のために創意と吟味を凝らしてまとめたものだという。
そのため語り口も優しく、とても読みやすい。なにやら面倒くさい伊弉諾(イザナギ) 伊弉冉(イザナミ)の話も、なるほどそうだったのか、こりゃシュールだ、と楽しく読める。
神話は人間が作ったのだなぁとつくづく感じるのは、ギリシア神話にもある、見てはならないと言ったのに見てしまう、ダメといわれると逆にせずにはいられない人間の性を描いたところ。
オルフェウスは、冥界から妻のエウリディーケを連れ出せるはずだったのに、地上に着くまでけして妻の顔を「見るな」という約束が守れなかったために、あと一歩というところで願いは叶わなかった。
イザナギも亡くなったイザナミが恋しくて、夜見の国へ行って一緒に帰ろうとした。イザナミが返してもらう算段をするから、「あなたもそこで休んで待ってください、けして見ないで」というのを、イザナギは守れない‥‥
そこでみずらといって、頭の髪を真ん中で分けて、両方の耳の上で結んだその左の鬢に挿した長いくしを抜いて、親歯を一本お欠きになり、これに火をともして、女神のお部屋へ入ってご覧になりますと、まあどうでしょう、女神のあれほど白い、きれいな肌は、見るかげもなくどろどろに崩れて、くさいうじがわいていました。 (p29)
‥ってことになり、そのあとホウホウの体で人間界との境界線の黄泉平坂(よもつひらさか)まで逃げ、坂下の桃の木から桃をもいで投げ、鬼をやっつけたりする。
山幸彦(火折命)は、豊玉姫が子供を産むとき見ないでくれというのに産屋を覗き、大わに(豊玉姫)がにょろにょろ這いまわっているのを見てしまう。
そういえば、鶴の恩返しもそうだ。(ア、違ったかな)面白いことに共通して男が見てしまうね。まあこれには深~いものがあると思うが、面倒なので以下省略。
十大昔話は「桃太郎」「花咲じじい」「かちかち山」「舌切りすずめ」「猿かに合戦」「くらげのお使い」「ねずみの嫁入り」「猫の草紙」「文福茶がま」「金太郎」
久しぶりに読んで思い出したものや、えっこんな話だっけ?というものもあった。滑稽味より、含蓄があるなぁと感じる方が強い。
「かちかち山」で、タヌキがおばあさんを煮て、おじいさんがそれを食べてしまう「ばばあ汁」はキョーレツ。
現代の幼稚園で話されることは、まずあり得ないだろう。
太宰治の『御伽草子』の「かちかち山」では、ウサギはタヌキが自分を好きなのをいいことに、冷酷で潔癖な処女となって、醜いタヌキを徹底的にいたぶるのがミソだ。
タヌキの「惚れたが悪いか」は万感の悲哀がこもっていたなぁ。
‥と、昔話からは話が飛んでしまったが。