応挙と若冲

三の丸尚蔵館「花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」の第五期の展示を見に行った。

今回の若冲作品は「老松孔雀図」「芙蓉双鶏図」「薔薇小禽図」「群魚図(蛸)」「群魚図 (鯛)」「紅葉小禽図」
率直な感想として、若冲を見慣れたせいでもないだろうが、有終の美を飾るには最終回の若冲作品のチョイスはやや迫力不足のように感じた。
「群魚図」を2作品揃えるのは当然かもしれないが、2作品とも楽しい図柄だが、他作品に比べてやや力を抜いているなぁ、という感じが…。
魚の描写も「蓮池遊魚図」の方がずっと精度が高い感じがした。隣の「薔薇小禽図」に比較しても希薄な印象を持った。
図版で見ているとそれほど感じなかったのだが、実物を見るとまざまざとそれを感じた。

今回一番の驚きは若冲ではなく、円山応挙の「牡丹孔雀図」だった。あまた孔雀図はあるだろうが、これほど完璧な孔雀図を見たのは初めてだった。
卓抜した写実に「生き物」としての存在感が溢れ、ブルーの美しさに陶然とした。
優しい丸みと温かみ、鳥の羽が持つ柔らかさとボリューム感は驚異的だった。
写実的描写は、細部の緻密さ追求していくと、その物の塊としての量感と反比例するようなところがあるように思うが、この天才応挙の場合はどちらも完璧。さらに「優雅さ」と「気品」が満ち溢れ、正に王者の風格だった。
カタログの解説によると、この作品も平成17年度の修復の際、若冲のそれと同じく「裏彩色」が施されていたのが確認されたそうだ。

一方若冲の「老松孔雀図」は、生身の孔雀というというより、孔雀のスピリットを表現しているように思えた。


「老松孔雀図」

どちらも、各々の画家にとっての孔雀のリアリティであるのかもしれない。

牡丹の描き方も両者個性的で面白い。

応挙の牡丹は植物画のような生真面目な表現で、薄い花びらの豊かな重なり、それが作る重量感が素晴らしかった。

花に対して葉や茎の輪郭をやや太く、あっさりと表現して牡丹の力強さがあった。

若冲の牡丹は「牡丹小禽図」のものとそっくりだ。赤い輪郭線が特徴的で、とてもパターン化して描いているのがよく分る。葉の表現の方に微妙な調子を出しているように思えた。

牡丹に限らず若冲の描く植物は、葉がとてもユニークで面白い。

      
「薔薇小禽図」          「牡丹小禽図」

今回一番好きだった「薔薇小禽図」、右の「牡丹小禽図」と対を成すよう。両者とも息苦しいほどの爛漫ぶりだ。
こういう表現は何だかデモーニッシュで谷崎的だな…と思う。
特に「薔薇」の方の黒い幹?だろうか、蛇の鱗のような表現は近くで見ると本当に不気味。


「薔薇小禽図部分」

細かな鳥の形をしたような白い鱗状のパターンが、ぽつぽつと描かれていて、生理的にオゾオゾッとする。
この奇妙な幹が、美しい薔薇や可憐な小鳥と奇妙なバランスをつくっている。
こんな不気味なものを描きこむのが若冲の奇想たる所以だろうか。
同様に思うのが松の幹の表現、まるでアナコンダのよう。

   
「老松鸚鵡図部分」          「貝甲図部分」

草木が動物のようだったり、波が触角のようだったり若冲の描写は、自然の形を客観的に写実するところから始まって、主観的な若冲の形にしているのが素晴らしいところだ。

4月からこの展覧会やプライスコレクションで若冲作品を見続けて感じたのは、若冲の「描くこと」に対する執念と喜びだ。
俗事を捨てて描くことの喜びを選択することの出来た若冲は、幸福な人生だったのではないかと思う。
そのせいだろうか若冲作品のいいところは、人生の苦悩といったような、マイナスの人生観が見当たらないところだ。
だから、安心して「美の別世界」に浸っていられる。

“完全無欠という幻想にむかって、性こりもなく試作をつみかさね、幻想と孤独な戦いにあけくれ励むという悦楽を別にして、アマチュアの立場というものはない。”

この杉本秀太郎の言葉は、とても感慨深い。人生における創造の喜び、偉大なアマチュアリズムに対しての称揚であるように思う。

伊藤若冲という人は、この言葉の頂点に君臨する、自己の完全無欠な美の世界を作り上げてしまった人のように思えるのだ。

第一期の感想

第二期の感想

第三期の感想

第四期の感想

☆Takさんのブログ 「弐代目・青い日記帳」にて

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因みに私は「南天雄鶏図」です。

この他、若冲に関する記事が質量共に充実、必読ですよ。

「三の丸尚蔵館第40回展開催要領」

応挙と若冲” に対して2件のコメントがあります。

  1. 弥勒 より:

    いい趣味ですね。
    感性がすてきです。

  2. ワイン より:

    今回も観にいかれたんですね。
    孔雀絵、どちらも本当にみごと。実物はもっと迫力があるでしょう。私も楽しみにしています。
    kyouさんのおっしゃるとおり、若冲の絵からは迷いが感じられませんね。潔いというか、見ていて気持ちいいです。そういう人間だったのでしょう。一直線というものに実に魅かれます。
    「別世界」に入って行きたい、と思って訪れたのに、その中に俗世間のもやもやや、澱みや、しがらみの匂いを感じた瞬間、興ざめたという経験、多くありますから。

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