なぜ頭が小さいのか
先日見た「よみがえる源氏物語絵巻展」(3/12)で気になることがあった。
以前から気になっていたのだが、形のはっきりと分る模写を見て改めて感じていた。
それは「後ろから見た頭部」について。
顔の描き方は、正面やや斜めから見た、ふっくらとした頬と引目鉤鼻で描かれていることはよく知られているところだ。
ところが、後ろから見た頭部を描いたものを見てみると、到底顔の量感から想像できる大きさには描かれていない。周囲にある正面向きの顔と比較しても、まるで遠近法が使われているかと思うほど小さい。スケールがあまりにも違う。
源氏物語絵巻のどの絵も後ろから見た女性の頭はみな小さい。身分の高い低いに関わらずだ。
また、真横から見たものは、妙に細長い感じのものがあった。
これはいったいどういうわけなのだろう?疑問に思うのは、私だけではないと思うが…。
ずっとナンカ変だな~と思っていて、たまたま図書館で橋本治の『ひらがな日本美術史6』を見ていた時、「その百一 横を向くもの」の中で、その答えと思われる橋本氏の解釈が出ていた。
美しいのは、「豊かな頬の大きさ」であって、「ブ厚い奥行きを持つ頭骨のでかさ」ではないのである。だから、「頭骨は小さく、頬は大きく」という美的原則が出来上がる。「東屋二」の五人の女と一人の男は、この原則に従って描かれているのである。
頬がまったく見えない後ろ向きの女は、その頭部が極端に小さく描かれる。この画面の中の後ろ向きの女と前向きの女が同じような頭骨を持つとは思えないが、大きいのは頭骨ではなく「頬」だから、これが隠れると、頭は小さいのである。同じ女が「鼻が見えるほどの真横」になると、面長になる豊かであるはずの頬のたるみ–あるいは盛り上がりを表現するすべがないから、顔全体が「細長い」になってしまう。しかし、これを見る画家が「やや後ろ」に回ると、頬の白い豊かさが強調されて、前から見たときと同じような顔=頭のでかさを持つことになる。どうもそういうものである。 (P158)
う~む、そういうものですか…。
また、後ろ向きで美しいのは「長い髪」であるから、頭から肩にかかり、三角に広がってゆく髪を強調する上でも頭は小さい方が美しいのかな、とも思う。
個々の美しい形が、現代の目から見て全体としての整合性を欠いているように見えても、平安の人たちにとっては、妙に小さな頭が心地よく目に映ったということなのだろうか。
“なぜ頭が小さいのか” に対して2件のコメントがあります。
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現代の美意識とまったく逆といってもいいくらいですね。
頭の上部はなるべく小さくしかも髪の毛によって、下に行くほど広がる形がよい。顔も下膨れ・・頬がふっくらしていておでこはきっと狭い方が良いんでしょう。
目が大きく彫りがふかく、顎が細く、頭の形が偏平でなくて奥行きがある形、しかも身体全体に占める頭部の割合は小さいほうがいい、というのが現代の美人ですものね。
興味深い疑問ですね。また面白い橋本氏の指摘ですね。美とは、その時代の価値基準でずいぶん変化するということですね。現代の美人(スーパーモデルなんかを)、平安の時代に連れて行ったら、エイリアンを見るくらいびっくりされるのでしょうね。ちょっと話題が逸れるかもしれませんが、こういう絵巻で表現されている3次元空間のとらえ方(というより2次元につぶす描き方)は、なんだかとても独特だと思うのです。立体を意識した現在の遠近法で描いた絵画を持って行ったら、平安時代の人たちは、どのような反応を示すのでしょうか。興味があります。目眩がするとか言われそう・・・