愛すべき失言
『象は世界最大の昆虫である ガレッティ先生失言録』 池内紀編訳 (白水Uブックス)
ガレッティ先生は1750年生まれ、1828年78歳で没すると、時を経ずして彼の失言録が出された。
彼は40年間ギムナジウムで教壇に立ったが、計らずも数々の失言、勘違いを生徒の前に披露してしまった。
愛すべき人物だったに違いないガレッティ先生を偲び、生徒達は『ガレッティ先生失言録』を出したというわけだ…。
元々生徒を笑わせるために言ったことではないので、気の利いたカッコよさは無い。
たぶん紳士的な先生なのだろう、人を傷つけるような辛辣さも無い。
けれど、読んでいるとアレッ?とか、ソウだっけ?とか、えっ~、意味ワカンナイヨ先生・・など脳みそが気持ちよく刺激される。
きっと生徒達は授業の内容より、あ~今日は先生何か面白いこと言うかな。との興味で授業に臨んでいたに違いない。
とは言うものの、先生の知識は多岐に渡り、私なんぞは可笑しさを理解するに至らないモドカシサ、不甲斐なさも多々ある。まぁ言って詮無い愚痴なのだけど。
(古代の世界)
・ ダイオタロスはダイオタロスの父の子であった。
オクタヴィアヌス、ユリウス、ウスとかロスとか出てくると、私は何でもそれらしく聞こえる。
(歴史学)
・ マキシミリアン公こそ最後の騎士であった。その片足は、なお中世に立っていたが、もう一方の足は、はっきりと近代を指さしていた。
おそ松くんのイヤミを思い出してしまった。歳が知れるな。
・フェレンツェのその貴族一族は世代から世代へと急速に衰微した。かくしてついに、その一族においては、子なしが世襲となるにいたった。
不可解な世襲制はインモラルな抜け穴がありそうです。
(博物学)
・ライオンにおいては、男女間に通例の、あのわずらわしい関係がない。
先生、最近何かあったのかな。
・ハチドリは植物界最小の鳥である。
コレはお気に入り。直感で理解できる。ぱっと見、花です。
それにしても表題の「象は世界最大の昆虫である。」もスゴイ。
先生の死後約30年で、ダーウィンの『種の起源』が出たそうで…。
(授業風景)
・ 先生にはやっと分りました。第一に、君たちには読解力が皆無である。第二に、それが詩になると、皆無の一つ上である。
先生ゴメンなさい、そのとおりです。これは失言ではありません。少なくとも私はそうです。
・ 雨が降ると、意味はどうなりますか?
こういう質問を生徒になげかけてくれる先生、今こそ欲しい気がする。
しかし、悩むな。
(経験と省察)
・ 紙幣とは思い上がった貨幣にすぎない。
そうね。紙幣にコキ使われないようにしなきゃ。
などなど、あげたらきりが無い。
ただ、動物愛護、人権、フェミニズム関係の人が読んだら、怒り出しそうなことも書いてある。まぁそれは18世紀あたりのこと、ご愛嬌と割り切るしかない。
しかし、こんな失言、間違いの中にもどこか真理があるような気がするところが不思議だ。
どんなに正しい立派な言葉も、聞き手に何も思い起こさせなかったら意味が無い。
クスッとさせ、心の中でどこかひっかかり、何かを考えさせることができれば、それは先生!アナタの勝利です。
“愛すべき失言” に対して3件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
「その先生の知識はあまりに多肢に渡っていて生徒の質問に答えられないことなど一度もなかった。そこでクラスの生徒たちの数人が考えた。先生が絶対に知っていないことを捜して質問しよう。なんとか先生をやり込めたい。彼らは図書館に行きブリタニカ百科事典から、エジプトの初代ファラオに関する項を必死で丸暗記した。次の授業で彼らは初代ファラオについて先生に質問したが、先生は考え込んでしまった。そこで生徒たちは得々としてファラオについて覚えたことを先生に語った。先生は言った。『君たちどうもありがとう。おかげですっかり思い出すことが出来たよ。』先生が本当に喜んでいるのを不審に思った生徒たちがあとでブリタニカ百科事典の初代ファラオの項を見ると、著者の欄にはその先生の名前があった。」
私が最近読んだ海外の笑い話だよ~。
久し振りに楽しい気分になりました。
失言とは言え、何かしら考えさせられる気になってしまうのは、ガレッティ先生の学識に裏打ちされた人徳のなせる技かと。
ところで、私はつい最近、自らの卓越した読解力のせいで、書かれた原稿の文章に主語が欠けているのにも拘わらず、十分に意味が理解し得た結果、危うくそのまま「校了」しかけました。
思うに、頭の中にもう一つ別の秘密の思考経路が形成されつつあるのかも知れません。
愛すべきガレッティ先生・・・楽しくなりますね。ところで、奇行癖といえば、あの小林秀雄も、明晰な頭脳と格調高い評論作品とは、うらはらな変な(おっちょこちょいな)行動の多い人だったらしいですね。妹さんが書いているので、ウソではないと思いますが、ある日、住み慣れた自分の部屋のふすまが開かないと言って、一生懸命頑張っていたそうです。そこは閉じ切りで開かないことを充分承知していたはず、とのことですが。なにか別のことを考え過ぎて、大事なステップが抜けてしまうということですかね。「雨が降ると、意味は・・・」など、そんな雰囲気がありますが。