奇想の飛び火
この前読んだ辻惟雄の『遊戯する神仏』の中に、はじめて見る奇妙な絵があった。
それは長野県飯田市にある清林山浄玄寺にある障壁画で、十八世住持であった徳誉源道和尚(天龍道人 1852~1925)が描いたものだ。
一目見るなり、おっ!何だコレは?何かスゴイぞ!と惹き付けられた。
「釈迦成道図」(右上)・・・エキゾチックな容貌の釈迦、長く伸びた爪、小刻みに震える線で描かれた衣は不気味な存在感だ。
漆黒の背景に白い瑞雲が同じく震えるように、細々と描き込まれている。花々は織物の模様のように点在して、装飾的。
このうねうねとした襞、異様な宗教的エネルギー…何かに似ていると思ってら、グリューネヴァルトじゃない。執拗で粘り気のある描き方が、共通するように思えるが。
「浄土七宝蓮池図」・・・襖六面に高さ半分くらいまで、水面も見えないほどの蓮画びっしりと茂っている。チョッと熱帯の生命力を思わせる茂り具合。
空には鳳凰だろうか、華麗な鳥が沢山飛んでいる。
一際目立つのは、噴水のように水晶の玉から水がふき上がっているところ。あぁカラーだったらなぁ。(この本の図版は全てモノクロなのだ)
「梅に霊芝図」・・・これは別の阿弥陀寺にあるもの。
画面いっぱいに梅の古木が枝をくねらせ、その太い幹に霊芝が生えている。
霊芝の他、種々のコケやシダに覆われた樹肌が、荘厳で微細な生命感に満ちている。
バーク・コレクションで見た若冲の「月下白梅図」にみる洗練された拘りには劣るかもしれないが、力強さでは勝るのではないだろうか。
辻氏の述べていた若冲にあるアニミズムを源道にも十二分に感じる。コレはスゴイ。
本の中で、源道について「芸術新潮 1975年10月号」に画僧、岩崎巴人が寄稿しているとあった。
是非読みたかったので、ネットの古書検索でやっと見つけ、即送ってもらった。
「山里に隠れていた奇僧の絵」と題して3ページ、岩崎氏の驚嘆と、源道の「特異児童的」絵の魅力が伝わってくる内容となっている。
カラー図版で「釈迦成道図」(UPしたもの)があったのが嬉しかった。
いつか浄玄寺を訪れて、実物を見てみたい。そんな気持ちになった。
それにしても、源道の画集とかはあるのだろうか。
“奇想の飛び火” に対して2件のコメントがあります。
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一見、宗教画にしてはモダンだな、と感じましたが、やはり近代の人なんですね。
幻想的な中に異様な印象を受けます。
プリミティブ絵画と宗教性が合体したような、、、
こういう幻視があって、それを形象化したものではないか、とも思いました。
パステル調がなんだかポントルモを思わせますね。ポントルモのようなヤバさは感じませんが。緑色の後光はルドン?