アニミズム讃

遊戯する神仏たち―近世の宗教美術とアニミズム

『遊戯(ゆげ)する神仏たち 近世の宗教美術とアニミズム』 辻惟雄 (角川書店)

江戸時代、檀家制度のもとで仏教は現在と同じように薄められた葬式仏教である。と私は思っていた。

なんとなくTVでよくやるような堕落した大寺院の拝金主義が蔓延しているのかと思っていた。

ところが、特に禅の系統の遊行僧が、全国をまわり高僧に教えを乞い厳しい修行をする。そのような宗教的情熱が盛んであったのもまた江戸時代であるという。

また、檀家制度は否定的な面もあるが、民衆と寺とを確実に結びつけた。寺は民衆に分りやすい説法をする必要が生じ、そこで普通の人々の生活感とリンクするようなエネルギーを持った宗教美術が生まれた。

その特徴が顕著に現れているのが白隠の禅画であるという。

なるほど、白隠の描く絵は不思議なエネルギーに満ちている。

白隠の禅画はどれも、それまでの絵画の流れからは独立しているように思う。

独自の線、独自の形。それとどこかユーモラスな表情。崇高な教えは私には分らないが、どこか軽妙で暖かい人間性を感じる。

禅画については詳しくないが、描かれた図像をもって「禅」の教えを説いたものであろうと思う。そこから発せられるのは宗教的エネルギーであるから、その意味で画家の描いた絵とは似て非なるもののように思える。

どことはハッキリ分らないが、違った感じを受けるのはどうしてだろう。

江戸時代の文化というと町人文化、世俗的な都市文化ばかりが目に付いていたが、精神的支えはなお仏教にあり、その仏教美術は地方文化、在野の力が際立っているということを改めて知らされた。

筆者は、日本の美術の特徴を「かざり」と「あそび」それと「アニミズム」であるとしている。

若冲、北斎をアニミストとして作品を考察しているのは興味深かった。

北斎晩年の肉筆作品にある一種異様な霊的な、宇宙的な何ものかはこのような理由によるものかと、思いがクルクルとまわった。

アニミズム讃” に対して2件のコメントがあります。

  1. ワイン より:

    宗教とはきれい事ばかりの世界ではないのですね。
    人のどろどろした内面にかかわっているわけですから、たとえば仏教が拝金主義で堕落しているようにみえても、そのなかから驚くほどの美しい花が咲くことがある。キリスト教だってかなり何度も堕落を重ね、神様の目から見たら聖職者はみな地獄に落ちて当然な状態になったとき、聖人がそのなかからあらわれたりする・・
    全く不思議というか、奥深いというか、したたかというか、・・けしてあなどれないのが宗教ですね。

  2. Yadayoo より:

    白隠の書はとても魅力的ですね。ドーンと地獄の底に座り込んだような安定感とゆるぎない筆圧。どこにも逃げていかないぞと、威圧感がみなぎっています。だるまの絵なんか自分を描かれたのでしょうかね。なにか愛嬌があって暖かい。書を書く禅もあるそうです。書にはその人の心が現れてしまうのでしょう。

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