現代美術の解説書
『アートレス マイノリティとしての現代美術』 川俣正 (フィルムアート社)
なるほどそうだったのか。川俣氏の制作活動とはこういうものだったのか。
などなど、兎に角ストレートに分る。ぼやけていたものがクリアーになった感じがあった。
自らの制作について、これほど理論的、客観的に把握しているのは流石。そしてそれを他者にわかり易く伝えられるというところは、多数の人が参加するプロジェクトを成立させている所以であるように思った。
私としては、氏の言い方を借りれば従来型の、個人の才能や美意識によるところの制作活動を普通のことと考えていた。
だから、参加型のプロジェクトというものの意味が、イマイチ分らなかった。
その答えの一つとして
では、なぜ個人で表現を追及するのではなく多くの人たちと関わるのか、なぜこのような方法論を自分でとるのかというと、携わることによる共同性の意識が、作品を個人のレベルから、少しずつ集団のものとしてのレベルに肩代わりさせ、責任をわかち合うようになるからであり、唯一その関係性の変容を体感したいという興味なのだと思う。 (P45~46)
率直に言って、自分はこういう考え方をしたことがないので、ちょっと面を食らった。
個人とアートの関わりよりも、社会性を持ったときのアートの意味、そこでの新しい価値の創造に興味があるのだろう。
一つの結論によってすべてが決まるのではなく、それがまた一つの違うものを派生していく。いわゆる石が転がっていくようなもの。アートの世界もこのような方法論に乗っ取って考えると、アートの意味も変わっていくのだろうし、社会に対するアートの役割ということも変わっていくのではないだろうかと思う。 (P119)
現在氏が行っている最重要な仕事は 「ワーク・イン・プログレス・プロジェクト」と題されたものだという。
複数の人間による終わりのない、リアクションがリアクションを生む(チェーン・リアクション)ことによって、プロジェクトの方向も決まっていく。常に新しい何かが生まれて、そのつどそれに参加した人、見に来た人に新鮮な驚きを与える。というものらしい。
読んでいると、つくづくアートって何かなと思う。
現在は同時多発的に様々な表現方法で創作活動がなされている。絵画や彫刻もその一つ、所謂現代美術もその一つ。建築や映像、マスメディアも含めれば関わりのない人はいない。そして各カテゴリーは果てしなくボーダーレス(あるいは細分化かもしれない)になっているように思う。
現代美術が、常に問い続け、進み続けなければいけないのは先端としての宿命だろうと思う。と同時に現代美術に触れたときほど、「アートって何かな」と考えさせられることはないとも思う。
現代美術関係の本は、兎角観念的で難しいので敬遠していた。考えてみれば作家それぞれのコンセプトがあり、それに基づいた行為がなされているので、全体として語るのは難しいのかもしれない。
本書はアーティスト本人による自身の制作活動の解説書だが、そこから広く現代美術というものの考え方、見方というものも大いに受け取れた。
冒頭に兎に角ストレートに分る。なんて書いたけれど、何だか考えるとまた分からなくなってきた。
川俣氏の活動、方法論をある程度理解は出来るけれど、共感するかといったら迷うな。
参加型のプロジェクトはどういう方向に進むのかということ、個人としてのアーチストという立場は、どう認識されてどう変化していくのか・・・等々分らないこと知りたいことが沢山出てきた。アンチ・カタルシスはこのカテゴリーの必定かな。
でも、読んで面白かったのは間違いない。
世の中の見方もちょっと変わるような、価値観の揺さぶりが結構心地よかった。
“現代美術の解説書” に対して1件のコメントがあります。
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Work in Progress Project という考え方は興味深いですね。
ファッション・デザイナーで同じようなもの作りをしている人がいました。名前を思い出せないのですけど。ある人(デザイナー)が「こんな感じで・・」とおおまかなイメージだけを伝え、テキスタイル・デザイナーがそれを受けて「こんな雰囲気の生地を・・」と提案すると、何人もの人がそれぞれのイメージを出し合い、生地がつくられ、縫製され、ひとつの作品になっていく。それが初めから決まっているわけではないというところが面白いし、意外性があって刺激的なのだそうです。ファジーなものづくりということでしょう。
もしかすると途中で空中爆発してしまう可能性も無きにしもあらず。だけど、うまくいくと思いもかけないようなすばらしい発想が表れる可能性もあるわけですね。
自分ひとりのコンセプトにこだわらないもの作りというのは、今までのアーティストといわれる人たちの常識をひっくりかえしてしまいますね。面白いけれど、勇気もいることだと思います。