Art Circus

先日、娘と「横浜トリエンナーレ2005」に行ってきた。

今時の現代美術については、正直どこにどう反応すればいいのかよく分からないことがある。

とりあえずニュートラルな気持ちで体験してこよう!といった感じだ。

 

ポスターにもなっている紅白の旗が連なるプロムナードは、面白いほど見事なパースを見せてくれる。

左に海とみなとみらいの高層ビル群、右に普段どおりの倉庫などを見ながら進むと、祝祭的な旗の下「異界」へ赴くワクワク感が満ちてくる。

その「異界」は、メインテーマである「アートサーカス 日常からの跳躍」の現場。

 

展覧会場は多数のアーティストによる様々なアートプロジェクト、インスタレーション、ビデオアート、その他私の分からないプレゼンテーション?といった感じのものがひしめく。

 

面白いなと思ったのは、アーティスト個人の作品ではなくて、あるコンセプトに基づき多数の人が参加することによって作り出された作品(プロジェクト?)

従来のアーティスト個人の精神的、技術的追求とは無縁だ。

個人の思惑を超えた複数の人間による「何か予期しないもの」が刻々と作り出される面白さを感じた。

 

沢山の人が小さな紙に色々なメッセージと絵を描いて、それを何かに貼り付けていたようなものがあって、全体としての大きなまとまりと、一つ一つの小さな世界が融合するようなしないような。

このプロジェクトの作家だったか、アルマ・キントの布を使ったソフトスカルプチャーの作品は面白かった。

子供と母親がへその緒のようなもので繋がっているのが、天井からつり下がっているもので、素朴で原始的な生命感と同時に、おぞましい恐ろしいもののようにも見えた。

 

ビデオの作品で印象に残ったのは、ショーン・グラッドウェル。

横浜界隈のパブリックな場所(地下鉄とか、商店街とか)で、地べたに伏せていたダンサーが、おもむろに起き上がり、歩いていて・・・突然ブレイクダンスをやリ始め、しばらくしてまた歩き始める・・・

といった状況を無音、スローモーションで録った作品。

パブリックな空間に溶け込んでいた個人が、突然気持ちと身体の高揚があって周囲をプライベートな空間にしてしまう。

その行為の微妙な波動があたりを脅かしてゆく。淡々と客観的なカメラの目が面白かった。

それと、周囲の人が割りと無反応なのも、都会的。ストリートパフォーマンスも見慣れているし、今は何でもありだからそうそう人も驚かない。

 

他にも色々なものがありすぎて、書ききれない。心の内に沢山記憶しておこう。

 

美術館で鑑賞する絵画は、美意識や価値の定まったもので、鑑賞する側は受動的に確認作業をすればいい。

けれど、ここでは価値の定まらないものや自分が参加することで初めてアートとして成りつものなど、受動的な鑑賞者ではいられない。積極的に参加し意味を考え、意図を読むことが必要だ。楽に跳べるわけではない。

これは、かなりストレスでもある。

何も「日常からの跳躍」は現代美術を通してのみできることでもないが、現代美術の跳び方は、こういうものだと教えてくれた展覧会でもあった。

 

総合ディレクターの川俣正氏のものが全くなかったのが残念。

氏のプロジェクトを写真でしか見たことはないが、本物のアーティスト、スゴイ人だと思う。

この人がらみじゃなかったら、たぶん行かなかっただろうな。いい体験をした。著作を読んでみたいと思う。

 

横浜トリエンナーレ2005

 

Art Circus” に対して1件のコメントがあります。

  1. たかね より:

    >ここでは価値の定まらないものや自分が参加することで初めてアートとして成りつもの

    解ります、年に数回現代アート展に行きますが・・・
    「現代」というカッコを取り去ったのちもアートといえるかどうか?それは愚問なのかもしれないのですが・・
    楽しめたりもするんですけど、すっきりした気分になれることは少ないですね(笑)
    とても同調できる文でした。

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