形あれこれ
『形とデザインを考える60章』 三井秀樹 (平凡社新書)
縄文の形からIT時代の形まで、60の短いコラムが並ぶ。
西洋の美の基準とはまったく違った美を提示した、ジャポニスム。
モノグラム、家紋、ブランドなどの文様と装飾文化。
アールヌーボー、バウハウス、脱構築主義とめまぐるしい20世紀の様式。
黄金分割、フラクタル、自然界の複雑系など形の原理に関するもの。
IT時代の運動の形、光の形、ユニバーサルデザイン等々。
新聞に連載されていたものということで、短く導入的なものだが、バラエティーに富んで読んでいて飽きない。
「琳派と光琳」 日本美術の頂点であったのが、琳派ではないかと思う。
それにしても、琳派は狩野派のように代々と続くものではなく、江戸300年の間に、最初の俵屋宗達、本阿弥光悦、中間の尾形光琳・乾山、最後の酒井抱一とほぼ100年の間隔で代表する芸術家が活躍している。共通する美意識が地下を流れていて、点々と地表に泉となって現れるようで面白い。
調べてみたら、光琳の没年(1716年)が伊藤若冲の誕生年で、同じく京都の裕福な商家の生まれというのも奇遇だなと思った。
「茶の湯とフラクタル」 フラクタル=自己相似性というくらいしか知らず、漠然とブロッコリーやら、シダの葉やら想像する程度だったけれど、日本人の美意識と深いところで結びついていることに大いに興味を持った。
日本の芸術、文化は対象の再現性より、自然の中に美を希求する精神性が重んじられた。したがってその表現は抽象的であり、デフォルメ(誇張)や非定形に満ちた描写である。茶の湯の美学にはこうした日本美の精神性が凝縮している。 (P74)
その根本である一見無秩序な自然の形に秩序を見出したのがフラクタルということで、昔から日本人は自然の中にあるそれを本能的に感知していたのだろうか。
しかし、フラクタルって数式が出てくると全然わからないなぁ~(撃沈
自然の中にある「それ」は美しいものだけど、「それ」だけを抽出したCGの作品はどうも美しいとも好きとも思えない。・・不思議だな、どうしてだろう。
“形あれこれ” に対して2件のコメントがあります。
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CG作品で、どうもつまらないなと感じる理由に、単調さがありますね。定規で引いた線に、ワクワクすることはあまりありません。揺らいでいないからではないでしょうか。おっしゃるように、予測できてしまうので、どこか退屈さがあるんです。
>自然の中にある「それ」は美しいものだけど、「それ」だけを抽出したCGの作品はどうも美しいとも好きとも思えない。・・不思議だな、どうしてだろう。こんばんは。その疑問は、ボクにとっても長いこと謎でした。いまは、答えをうすうす知っています。スケッチをしながら気づきました。でもそれは公認されていません。自然には、「規則性」とともに「揺らぎ」があるからです。風のたとえで言えば、扇風機の風は一定に吹くだけ。自然の風は、いつも揺らいでいます。これがけっこう心地よいのです。