恋するココロ
『恋する罪びと』 田辺聖子 (PHP文庫)
いとし、いとしと言う心が戀という字であったのに、いつから亦心になってしまったのか、と嘆いた作家は誰だったかな・・。
本書は業平、紫式部、和泉式部から、白蓮、一葉あたりまで、著者がお気に入りの古典からコレぞ、という恋の話24話を集めたもの。
その中からいくつか。
・「つくも髪」 色欲静まらぬ老女が、あろうことか業平に思いを寄せる。普通の男なら顔を背けるところであるが、業平はねんごろに老女の想いを遂げてあげる。
田辺氏曰く
業平の目には、来世も今生もなく、銀河のような時間の中を明滅して漂う男と女がいるだけである。-こういうのを、ほんとうの色男、という。 (P17)
なるほどな~。普通なら、浅ましい老醜で一蹴されるところ。
かなりの境地に達しないと難しそうだ、業平ならではということで・・。
田辺氏が作家のせいでもないだろうが、女流作家の話が面白かった。
・「恋は式部の昔から」は紫式部と藤原宣孝の恋愛から結婚にいたるまで。
父親ほど歳の違う宣孝の広い心と豊かな経験が、式部の心を自由にし、のびのびと才能を開花させていく。著者の理想を見たような気がしたが。
・「巨人の恋」 言わずと知れた鉄幹と晶子の文学史に残る大恋愛。
「こしかたやわれおのづから額(ぬか)くだる
謂(い)はばこの恋巨人のすがた 晶子」
これほど自分の道に自信を持てるなんて、やっぱり凡人にはできないだろうな。我と我が恋人を讃えて、我が人生に悔いなし!!・・この人はスゴイ。
・「我が恋は行雲のうはの空」は樋口一葉の真摯な恋。
小説を習うべく師事した半井桃水は、生活に困窮し、孤独な一葉に初めての恋の喜び、後に苦しみを与える。
一葉に名作を書かしめたのは究極のところ、やさしい美丈夫の半井桃水であったのだ。 (P231)
世間に認められるということも大事だと思うが、唯一この人に認めてほしいと思う相手を持つことも大切だと思う。
個人的な恋の形が、普遍的な恋の形にまで昇華されて、人のココロを打つ何かが生み出されるのだから・・。