いつの時代の、どの作品が好き?

快読・日本の美術―美意識のルーツを探る

『快読・日本の美術』 神原正明 (勁草書房)

「快読」のシリーズで西洋・日本・現代と三部作になっている。

以前に西洋と現代を読んで、著者の美術の見方がとても潔く、かつ分かりやすかったのでこちらも読んでみた。

様式や時代区分にぶつ切りにされた解説でなく、常に連続した昨日との繋がりで述べられていて、なるほどそういう流れだったのかと理解できるようになっている。

大きなイズムは必ず前のイズムの反動であったり、前の前を担ぎ出したルネサンスであったりする。その変遷は歴史上何回も繰り返えされ、それは西洋も同様であることは面白い。

例えば・・

鎌倉時代もまた鎌倉ルネサンスと言ってよいだろう。この時鎌倉は何をルネサンス(再生)したかというと、藤原に対抗するためにその前の天平時代を引きずり出してきた。幕府は鎌倉にあるが、文化の拠点は奈良である。(中略)

東大寺にいくと天平時代のものがほとんどだという目で見てしまいがちだが、実はそうではない。鎌倉時代に付け加わったものもずいぶんある。ちょうどローマに行って、古代遺跡とルネサンスのものが同居しているのと言うのに近い。東大寺の南大門は天平時代につくられたものではなくて、鎌倉時代に作られた代表作である。(P61)

言われてみれば、そうだそうだと思う。金剛力士像は運慶・快慶。鎌倉だった。

鎌倉リアリズムの反動として出てきたのが、室町のアイデアリズム、シンボリズムだという。禅宗、枯山水、能楽・・ここは凄くムズカシイな。抽象というか観念の世界。自らの力で考えないといけない。

で、次はその反動で華やかで享楽的な桃山。ここで復活したのは藤原文化。

・・という風に一連の流れでとらえていて、フムフムと思いながらページをめくれる。

それにしても興味深いのは、そもそも縄文と弥生があまりに異なった造形と精神構造をもっていること。

一方が強く表面に現れると、もう一方は見えないが、底を流れている。そのような形で、いつの時代も相反する縄文的なものと弥生的なものが存在するような気がする。

一人の人間の中にも色々な面があるのも同じようなものかな。

自分が好きな日本の美術をあげていくと、自分がどういう日本人なのか見えてくるのかもしれない。