小説は世に連れ・・

教科書から消えた名作 (小学館文庫)

『教科書から消えた名作』 村上護 (小学館文庫)

「ゆとり教育」の名の下に、小中高の国語の教科書から、もの凄い勢いで「名作」が消えていっているという。

著者は消えた名作と残った名作をあげて、現在の国語教育のあり方を問うている。(内容は2003年現在)

小説に流行廃りがあるのは分かるが、時代を超えて読み継がれ、日本人の共通理解の一端をになっているのが、教科書に載るような作品だと思っていたが、現状はどうもそうではないようだ。

というより、当節の流行作家を含めて文学作品はほとんど載っていないのだ。

中学で慣れ親しんできた『坊っちゃん』 『吾輩は猫である』 『高瀬舟』 『山椒魚』はもう載っていない。

梶井基次郎『檸檬』 中島敦『山月記』も残念ながら消えている。この二つは好きだったのに。

それでは今、小説で教科書に多く採用されている作家はというと、

辻仁成、赤川次郎、椎名誠、川上弘美だそうだ。・・そんなにイイのかな。

著者が『檸檬』のところで書いていることが印象的。

本来表現し得ないものを表現しようとしたのが小説『檸檬』の真骨頂というべきか。これは文学の本質とも深く関わるところだが、それがいけない。こうした小説は文学に淫するもので、排斥すべしというのが新しい学習指導要領(国語科)の方針である。

重視すべきは文学教育でなく、言語の教育だという。「互いの立場や考えを尊重して言葉で伝えあう能力を育成する」事を第一の目標とする。あまりに文学的な作品は害をなすものという考えがあって、梶井の小説はすべて教科書から消えていった。 (P111)

文学に淫するとは、随分と大時代な言い回しだなぁという感じだが、著者の憤りは伝わってくる。

ここでいう、互いの立場や考えを尊重するということは、相手に対して想像力を働かせるということだ。名作といわれる文学作品は、その不可解な人間に深く関わるものであるから、実は遠くて近い道なのだ。それを排除していって何の恩恵があるのだろう?

じっくり文学作品一つ読めなくて、何がゆとりなんだろう?

とか何とか言っても、事前に使用教科書や教師陣をチェックして、子供を私立中学に入れようと思ったことはない。

まぁ、本といっても色々だし、何読んでもいいし、読まなくてもいいし。

先日本屋で、『趣味は読書。』っていう斎藤美奈子の本をパラッと見たら、この本を手に取った時点であなたはマイナーです・・みたいなこと書いてあって笑っちゃったな。

教科書は検定やら、学校側やら、日教組とかも関わって、何重ものフィルターがかかるものだから恣意的になって当たり前だ。

教科書は始まりで、そこから自分の好きなものが一つでも見つかれば充分。学校からすべてを学ぶわけでもない。

私が学校嫌いだったからこう思うのかしらね。

小説は世に連れ・・” に対して1件のコメントがあります。

  1. りゅう より:

    政府の文学嫌いは、徹底していて、文部省は、文部科学省になっちゃった。日夜、受ける教科書を作ってるように見えます。
    人気がとれて、受けがいいのがいい作品ということでしょうか?
    あなたの作品を教科書に載せたいと申し込みのあった野田知祐は、お断りしたそうです。何故か、「つきましては、一部文章を変えたい」と、ぬかしたそうです。
    「山椒魚」「山月記」「檸檬」は、僕も大好きだった。
    残念です。
    自分たちがアホだからといって、教科書を単なる読み物にしたらあかんがな。椎名誠は、自分の本の中で、「ここで作者は、どう思ったかという問題が、自分の書いたものなのに解けなかった」と書いている。
    笑える!

コメントは受け付けていません。

前の記事

たまには揺れてみたい?

次の記事

絵師の見た日常