いい夢は心の栄養
『見えるものと観えないもの-横尾忠則対話録』 横尾忠則 (筑摩書房)
横尾忠則氏と個性溢れる11人との対談。その面々は・・
淀川長治、吉本ばなな、中沢新一、栗本慎一郎、河合隼雄、荒俣宏、草間彌生、梅原猛、島田雅彦、天野祐吉、黒澤明の各氏。
タイトルにある「観えないもの」は非物質的世界を表しており、宇宙愛、夢、シンスピレーション、狂気、愛・・という言葉が、各々の対談で何度となく繰り返されていた。
私自身は霊感が全くないので、UFO、幽霊、天使、その他は見たことがない。存在は否定しないけれど、日常あまり意識て暮らしたこともない。
しかし、横尾氏にとってこれらは、日常に確実に存在し意識されているものなので、それが前提に話が進めれており、最初は読んでいて面を喰らった。
夢についての、VS河合隼雄は面白かった。
夢は誰でも見ることが出来るし、誰でも一度は人に語りたくなるような夢を見ていると思う。
私は、中学生の時に「夢日記」を一時期つけていたことがある。朝、目覚めると忘れないうちにノートに記していた・・。
そのうち現実と夢がごっちゃになって、恐くなった。何だか焦って止めた記憶がある。
でも、いくつか古い夢を覚えていて、それは時を経ると尚更、現実に経験したことと変わらなくなってくる。夢で体験したことは、やっぱり自分の体験だと思う。
その辺のところを話していて、大いに頷いた・・。
河合-私も、私たちが普通に見ている現実と同じような重みを「夢」の現実も持っていると思います。 (中略)
人は覚醒中であれ睡眠中であれ、この現実を生きているのですから、「夢」の現実も生きなければ人生の半分しか生きていないようで損な気がしますね。
横尾-「夢」を見た日は充実したような気になり、その「夢」が悪夢的なものであっても、ぼくにとっては人生の領域が広がったというか、人生そのものを豊かなものとして受けとめることが出来るわけです。昼の人生と夜の人生で倍、生きられるという。 (P113~P114)
他人の夢の話はつまらないと言うけれど、それはその人の自己表現の一つのような気もして、私は嫌いじゃないな。
あと、VS草間彌生はスリリングな対談だった。
というかお互いの波長は完全にズレていた。それはそれで個性が顕著になっていたが。
草間氏が現代美術における自己の作品の、先見性、オリジナリティを、やれウォーホールに影響を与えたの、ストーンズやビートルズの作品に自分のアイデアやメッセージが入っているだの(歴史的事実だとしても)話すことに対して・・
横尾氏は「誰が一番最初にそれをつくったとか、オリジナルであるかどうかなんて重要な問題じゃない。」と一刀両断にしていたのは爽快だった。
また、アーチストの作品のレヴェルについての話の中で、
横尾-レヴェル?何を基準にして<レヴェル>というんですか。自分がその作品をどれだけ愛して描いたかということのほうが大事でしょう。作品を描くということは-作品と自分との関係は-一種の恋愛行為だと思うわけ。キャンバスとか絵の具とか筆とか、みんな愛して、それを描いている自分自身も愛して描くわけだから、それがまっとうできれば、ぼくはそれで十分。他人がどう言おうが関係ない。・・・
これは私のように趣味で絵を描く者にも当てはまる。描くことへのエールのように思えた。