「ウフィッツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンズィーノ」
東京都美術館で開催中の「ウフィッツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンズィーノ」を見てきました。
本展で注目を集めているのが、34年ぶりの来日になるサンドロ・ボッティチェリの《パラスとケンタウロス》です。
実は34年前、20歳の時に上野でこの作品を見ていました。下の画像はその時のポスターで、1980年とあります。
ボッティチェリ《パラスとケンタウロス》
ポントルモ《受胎告知》部分
昔は大らかだったのでしょうか、会場の方に「余っているポスターがあったら、貰えますか?」って尋ねると貰えたりしました。今はどうだか分かりませんが。
《パラスとケンタウロス》に描かれているのは、知恵や学問、戦術を司る女神パラス(=ミネルヴァ)が、半人半獣のケンタウロスを戒めている場面で、知性による人間の獣性の統御だそうです。
それにしてもケンタウロスは甚だ軟弱で、美しいパラス・アテナの言いなり。パラスにしてもケンタウロスの髪を優しく絡めとるだけ。戦わずして勝利しているようです。
画面全体から沸き上がる甘美で華麗な雰囲気は、これぞフィレンツェの繁栄と言った感じがします。
ボッティチェリは生涯をフィレンツェで過ごし、街と栄枯盛衰を共にしたそうです。死後は急速に忘れ去られ、彼が再評価され始めたのは19世紀になってからだと、何かで読んだことがあります。
その他に、印象に残ったのは、ドメニコ・ギルランダイオ《聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ》
貝殻模様が施された壁龕(へきがん)に等身大くらいの大きさで1人ずつ配置されている構図です。鮮やかな色彩と明快な形に圧倒されました。
ドメニコ・ギルランダイオ 《聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ》
1492‐94年 テンペラ、板 アカデミア美術館
また、ペルジーノと工房《悲しみの聖母》はフランドル絵画のメムリンクの模写でしょうか?ペルジーノの描く顔じゃないので直ぐ分かります。
油彩の滑らかな質感と細やかな涙の表現が素晴らしかったです。
もう一つ、ペルジーノ《哀れみのキリスト》はフレスコ独特の淡い感じと、ペルジーノ独特の詩情があって印象に残りました。
16世紀の美術を、否定的な意味合いを含みがちなマニエリスムという言葉を用いずに「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」として示したのも目を引きました。
アンドレア・デル・サルトの作品はそれ以前の時代のものに比べて自由で個性的に見えました。今回はポントルモの作品はありませんでしたが、強いこだわりのあるマニエラ・モデルナの画家たちの作品がもっと見たかったな、と言うのは贅沢な不満でしょうね。
《パラスとケンタウロス》の正面に、同じ自分が34年ぶりに立っているというのが、ちょっと不思議でした。
自分は随分変わったとも思えるし、全然変わっていないとも思えました。
東京都美術館 「ウフィッツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンズィーノ」
“「ウフィッツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンズィーノ」” に対して2件のコメントがあります。
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>きよぴーさん
>奇しくも同じような時期の開催ですね。
>文字の配置の仕方など、見比べてしまいました。
良い展覧会が秋に多いのでしょうね。昔も今もこの絵が目玉だったんですね。
> ウフィッツィ美術館へ、行ったことがありますが、
おお、素晴らしいですね!私は行ったことがありませんが、いつか行ってみたい美術館です。
展覧会でビデオが流れていて、まあ、驚くばかりの豪華さでした。
> プリマヴェーラにヴィーナス誕生。
> ダ・ヴィンチの受胎告知。
> なんだか当たり前すぎますね。
良いですね。プリマヴェーラ、見てみたいです。
> 歳を重ねて、同じ絵と対面する。
> 確かに不思議な感じがするかもしれません。
> 自分が過ごしてきた年月が、
> ひょっとすると絵画の中から見えてくるかもしれませんね。
何度も対面できる名画もありますけれど、何十年ぶりっていうのはやっぱり感慨深いですね。
見る度に新たな局面が見えたり感動があるのも、名画ならではですよね。
今回の都美館での展覧会と、
34年前に開催された国立西洋美術館での展覧会、
ポスターは同じ『パラスとケンタウロス』の絵を使っているんですね。
奇しくも同じような時期の開催ですね。
文字の配置の仕方など、見比べてしまいました。
同じ絵を使ったポスター。
このポスターから
絵画の中にある不変な部分が見えてきそうです。
ウフィッツィ美術館へ、行ったことがありますが、
残念ながら、この絵を記憶がありあません(汗)
何を見て来たのだろうかと・・・
プリマヴェーラにヴィーナス誕生。
ダ・ヴィンチの受胎告知。
なんだか当たり前すぎますね。
歳を重ねて、同じ絵と対面する。
確かに不思議な感じがするかもしれません。
自分が過ごしてきた年月が、
ひょっとすると絵画の中から見えてくるかもしれませんね。