「ラファエロ展」

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 竹橋の「ベーコン展」の後に、上野の国立西洋美術館で開催の「ラファエロ展」へ行った。

 こちらはベーコンとは正反対で、いわゆる美的範疇のど真ん中といった感じだ。特に本展の目玉、《大公の聖母》は、優美な聖母子が漆黒の背景から浮かび上がるように美しかった。

 

 《大公の聖母》は別格なのかもしれないが、私は《無口な女(ラ・ムータ)》の写実的で緻密な描写、《エゼキエルの幻視》の迫力が印象に残った。

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《無口な女(ラ・ムータ)》

《無口な女(ラ・ムータ)》は着衣のひだや手の表情が、ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》を連想させる。モデルは不明だそうだが、硬く、無愛想な顔からモデルの個性が想像できて面白かった。

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《エゼキエルの幻視》

《エゼキエルの幻視》は画像だけで見ると、どれほど大きな絵だろうと思ってしまうが、実は縦40センチ、横30センチほどの作品だ。その小さな画面の中に、預言者エゼキエルが見たという「翼を持ち、人間、ライオン、牡牛、鷲の顔をした4体の生き物が神のまわりに位置する」が描かれている。

 超現実的な幻視が見事に表現されていて惹きつけられる。立派な体躯の神はミケランジェロの描く人物のようだ。画面の下の方には米粒のような人が天を仰いでいた。

 

 絵画の他には、絵画が模写されている皿などの陶器が面白かった。

 ラファエロの下絵を元に版画家マルカントニオ・ライモンディが制作した《嬰児虐殺》があり、さらにそれを写した大皿(ウルビーノ窯)があった。窯では人気の絵画が多く写されたに違いないが、陶器の絵柄が原画とは微妙に違っていたのが興味深かった。

 細かすぎる箇所は省略したのかもしれないし、何度も同じ絵柄を焼いているうちに伝言ゲームのように少しずつ違ってきたのかも?などと思った。

 正直、ラファエロというと甘美すぎる聖母子像がまず浮かび、あまり好きではなかった。しかし今回、そうではない作品を直に見ることができ、改めてラファエロの天才ぶりを実感した。

 

「ラファエロ展」

「ラファエロ展」” に対して4件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >みちこさん
    エゼキエルの書、そうなんですか。
    >彼をその奇怪な生き物に乗せている
    すみませ~ん!4体の生き物の後に「神のまわりに位置する」の文字を書き忘れてました。
    たぶん地上の米粒のような人が、エゼキエルかも。
    >まるで細密画を見ているような感じなんでしょうか。
    そうですね。でも見ていると壮大な気持ちになって小ささは全然感じないんですよ。

  2. みちこ より:

    エゼキエルの書は、人間の霊的成長を詩的に表現している、という説があります。
    ちび天使二人が、彼をその奇怪な生き物に乗せている面白い図柄ですね。そんなにサイズが小さいと、まるで細密画を見ているような感じなんでしょうか。

  3. kyou2 より:

    >ワインさん
    ワインさんの日記を読んで、ぜひ私も行きたいと思っていたんですよ。

    >女を描いたラファエロはなぜこういうモデルを描いたのだろうかと
    本当にそうですね。ラ・ムータも額にサソリのアクセサリーが付いたエリザベッタも
    お世辞にも美人とは言えないですよね。
    聖母で女性の理想を、彼女たちは掛け値なしのリアルに描いたんでしょうかね。

    >子供の頃、こういう西洋の絵を見るととても違和感を感じました。
    なるほど。なんか不思議ですよね。演劇的というのは面白いです。

  4. ワイン より:

    「無口な女」と「エゼキエルの幻視」、対象的な絵ですね。女を描いたラファエロはなぜこういうモデルを描いたのだろうかと、とても興味を持って見ていました。依頼されて描いたのだとすれば「無口な女」って題名はあんまりですし(笑)それにもう少し柔らかさを出すことだってできただろうにと思うのですが、そうはなっていませんね。あえてこういうふうに描いているのだろうと思わせる感じが強いです。「エゼキエルの幻視」は依頼されて描かれたという模範的な作品ですね。子供の頃、こういう西洋の絵を見るととても違和感を感じました。この迫力、演劇的な感じがしたのかもしれません。

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