「フランシス・ベーコン展」

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 「フランシス・ベーコン展」と「ラファエロ展」をハシゴで見てきた。

 フランシス・ベーコン(1909~1992)は30年前、同じ東京国立近代美術館で大規模な展覧会を見て以来、二度目だ。

 ベーコンの描く人物は、歪められた身体がモンスターのように見える。若いころはそれが恐ろしく、大変衝撃を受けた。

 しかし今回見てみると、歪んだ身体や大きな口を開けて叫ぶ顔は、恐ろしいというより何てリアルなんだろうと思った。

 人は皮の袋一枚の裡に、恐ろしく歪んだものを持っているグロテスクな生き物でもあると思う。そういう面が実にストレートに表現されていて、とてもリアリズムを感じた。

 もう一つ、不思議とも魅力とも思うのだが、ベーコン作品には激しい表現にもかかわらず、一種の静寂感があることだ。

 それは日常で衝撃を受けた時、ふっと周りの音が聞こえなくなる瞬間に似ているように思う。

 作品は殆どがベーコン本人の指示で「ガラス+金縁の額」の額装になっている。会場では反射したり、鑑賞者が映って見づらい為に予め注意書きがあり、本人の指示であることと、ベーコンが「ガラスの存在感と見る人との隔たりを生むことを好んだ」と書いてあった。

 「見る人との隔たりを好む」というのは意味深いと思った。

 ガラスによってあちらとこちらを厳然と隔てることによって、作品の存在自体をより強固なものにしてるようでもあるし、見るものが土足で自分の世界に入ってくることを拒絶しているようにも感じる。

 同性愛者である彼は、常に違和感や隔たりを感じていたとも思う。ベーコン作品にある性的な部分は本人と恋人しか知り得ないものも多くあるように思った。

 

 大作の《三幅対-人体の三習作》をはじめ、いくつかの作品には細い棒のようなもの、檻の柵のようなもの、境界を感じさせる台や色面などが描かれている。それらが何だかはよく分からないが、とても印象に残った。

 ぎりぎりの縁から深淵を覗く緊張感、密かに進行している何かと遭遇してしまうような緊張感が、ベーコンの作品にはある。

もし30年後、三度目を見るとしたら80代か。ベーコンを見る気力、まず無いだろう。あったらすごいな。

「ラファエロ展」については後日。

「フランシス・ベーコン展」

「フランシス・ベーコン展」” に対して4件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >ちろりんさん
    >美しさに感動するのも強くなるのでは…
    それは嬉しいことですね。歳を重ねてそうなれば良いと思います。
    歳とともに変化する部分ってありますよね。
    何十年か経て、ベーコンを見た時どう感じるか、自分でちょっと楽しみではあります。

  2. kyou2 より:

    >みちこさん
    実際に見ると凄さが一段と増しますよ。
    >ベーコンの奇怪な絵を胸に抱きしめて一晩眠ると、どんな夢を見るのか試してみたいです。
    私にはその勇気はないなぁ。異世界というか、悪夢間違いなしです。

  3. ちろりん より:

    >80代か。ベーコンを見る気力、まづ無いだろう・・・

    そうですね。恐らく見ることは出来ないでしょう。

    歳取るに従って美しいものしか観れなり、美しさに感動するのも強くなるのでは・・・

  4. みちこ より:

    もの知らずの私は、ベーコンの絵を今回初めて見た気がします。
    凄いですねええ。
    これは凄い才能ですね。

    どうして今まで目にする機会がなかったんでしょうか。
    ぜひ展覧会に行ってみたいと思います。

    妄想で申し訳ありませんが、ベーコンの奇怪な絵を胸に抱きしめて一晩眠ると、どんな夢を見るのか試してみたいです。
    異世界に飛んでいきそう。

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