『綺想迷画大全』
『綺想迷画大全』 中野美代子 (飛鳥新社)
なにも感動するような立派な絵ばかりが絵ではない。たとえ些細な挿絵でも見て面白く、何だこりゃ?と興味がわいてくるような絵もいいじゃないか。
本書は著者の関心の赴くままに、そんな不思議で楽しい絵ばかりを集めたもの。いわゆる名画鑑賞とは一味も二味も違うものだ。
元々は歯医者さんの待合室に置かれている雑誌に連載されていたそうだ。待合室で気もそぞろな状況に読むものとしては、随分偏愛的な連載もあったもんだと思う。
著者が中国文学者といういうこともあって中国絵画が多いが、パウロ・ウッチェロやカルロ・クリヴェッリなどの西洋絵画も充実していて面白かった。
中でも「マルコポーロの挿絵」の章ではユニークな怪物の絵が紹介されている。
お気に入りは以前から不思議だなぁと思っていたスキヤポデス。
無頭人とスキヤポデス
スキヤポデスは一本足で移動し、陽射しが強くなるとひっくり返って足をかざし、日陰を作って休むという怪物。というか幻想の畸形人間の一種。
紀元前4世紀、ギリシアの著作にインドの怪物として語られたものが、中世ヨーロッパにまで持ち越され、マルコの旅と結びつけられてこのような挿絵が描かれたという。
無頭人は中国の『山海経』の中にもそっくりなものがいるそうで、未知なものへの恐れと、人間の想像力は洋の東西を問わないものなのだと思う。
中国絵画は興味深いものばかりで、とても選べないが「西方へ飛ぶこうもり」で取り上げた絵が印象的だった。
周季常《観舎利光図》
中国人はこうもりが大好きです。いや、正確にいえば「蝙蝠」という漢字が大好き、とくに「蝠」の字は「福」と発音が同じですから、春節にはいまでも「蝠」の字を書いた赤い紙を、逆さに貼って(こうもりですから)発財(ファーツァイ)を祈願します。 (p183)
5人の羅漢が3匹の鬼神が光に乗って舎利を運んでいく様子を眺めている絵。お使いとして働いている蝙蝠っぽい鬼神が面白かった。一匹は鳥のようだけど。
また、子供が遊んでいる様子を描いたものが中国や日本の絵がよくあるが、中国ではそういう絵のことを「嬰戯図」というそうだ。独立した名称があるとは知らなかった。
福々しい唐子が長閑に遊びまわる絵は見ているだけで楽しくなる。
著者の指摘で、横向きの唐子は老人のようで可愛くない。横向きが上手く描けている絵は稀。というのは可笑しかった。
言われてみるとそのとおりで、どの横顔を見ても目の長さが正面から見たのと同じように細長いので、ほっぺたの福々しい感じがなくなり、大人びたような妙な表情になっているのが原因のようだ。
もう一つ、街の風景を描いた中国の絵巻物のところだったか、乾隆帝が離宮で催した売買街(マイマイジュ)というのには驚いた。
売買街というのは、世事に疎い后妃や皇子や宦官のために、毎年正月の数日だけ出現させる商店街とのこと。あらゆる店があって、スリや捕吏、果ては喧嘩まで演出されていたそうだ。何とも壮大な話じゃないですか。
“『綺想迷画大全』” に対して4件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
>みちこさん
>C.S.ルイスのナルニア国物語に「一本あんよ」というのがでてくるのですが、
そうでしたか。なんかユーモラスで、ありえなさ加減が半端じゃないですよね。
怪物というかベースが人間で毛が多かったり、耳が長かったり、頭が犬だったり、そういうのが流行った時代って今から見ると妙に純粋な感じがありますね。
>んで逆さなのかなあ、縁起が悪い気がするなあって思ってたんです。
そもそも、蝙蝠を縁起の良いものと感じるのはどうもピンときません、どうみても醜悪な顔つきで恐いです。
> 売買街(マイマイジュ)は、日本でもやったんじゃないでしょうかね?
規模の大小はあるけれど、ありそうですね。
洛中洛外図屏風なんかは、年中行事や市井のあり様を学習するためにも楽しいものだったかもしれませんね。
C.S.ルイスのナルニア国物語に「一本あんよ」というのがでてくるのですが、スキヤポデスだったんですねえ。ひっくり返って眠るので、上から見るとキノコみたいって書いてありました。このままジャンプして生活してて、本では、あの足をボート代わりにして海の上で漕がせていました。
「赤い紙を、逆さに貼って(こうもりですから)」なるほど~。んで逆さなのかなあ、縁起が悪い気がするなあって思ってたんです。
売買街(マイマイジュ)は、日本でもやったんじゃないでしょうかね?将軍のお姫様とかのために、お花見の時期に、店を並べさせたりして。きっと、人間の発想って同じだから、似たようなイベントやモチーフが古今東西にあるんでしょうねえ。
>ワインさん
>蝙蝠が赤いパンツみたいなものをはいていますが、赤ん坊のオムツみたいに丸くてユーモラスですね(笑)
そうですね。恐い鬼なのに健気に舎利を運んでいくようすがいいです。
仏様にとっては鬼も赤ん坊のようなものなのかしら。
>きっと人の心の中に隠れている不思議なものをひっぱりだす力があるのかもしれませんね。
そうですね、理論的にお説教されるより恐かったり、感動したりしますね。おしゃるように、こころのひっかかりって凄く大切ですね。
本当に面白い絵がたくさんですね。挿絵のような、というか、漫画みたいな感じでもあります。この手の絵大好きです。蝙蝠が赤いパンツみたいなものをはいていますが、赤ん坊のオムツみたいに丸くてユーモラスですね(笑)顔は怪物みたいだし、爪もとがっているのに。
水木しげるの描く妖怪たちも、不思議でこわくて、でも心のどこかにいつまでもひっかかるような味がありますが、ずっと語り継がれるような怪物とか鬼神というのは、きっと人の心の中に隠れている不思議なものをひっぱりだす力があるのかもしれませんね。