「川喜田半泥子のすべて」展
横浜のそごう美術館で「川喜田半泥子のすべて」展に足を運んだ。
「東の魯山人、西の半泥子」といわれるそうだが、今回友人に教えてもらって、初めて見ることができた。
川喜田半泥子(かわきたはんでいし)は素封家に生まれ、戦前戦後財界で活躍し、50歳を過ぎてから自宅に窯場を設け、多くの優れた作品を生み出したそうだ。
焼き物の種類は、織部、志野、瀬戸黒、唐津、信楽、粉引、色絵等々多岐にわたる。会場にはそれらの様々な焼き物が展示され、また、陶芸以外にも書や絵画、茶道具なども多数展示されていた。
次々と違った焼き物を作っていて、そのどれもが品格ある破天荒ぶり、形にとらわれない自由さがあって、そこが半泥子の素晴らしいところだと思った。
色々な焼き物を見ていると、だんだん自分の好きなものの傾向が確認できるのも面白かった。私は「良いな~」と思うと粉引茶碗か唐津茶碗だった。
粉引茶碗・銘「わすれはまぐり」が良かった。(銘はどの部分が漢字だったか忘れてしまった)外見は全体に薄茶色い三角の蛤のよう。
正面から見て右外側に石爆ぜがあって、表面がすこし口が開いたようになっている。そこからぷわ~と蜃気楼…という想像をした。
粉引茶碗・銘「たつた川」は枯れた味わいの器にモミジの葉が散らしてあって、リーフレットにも写真が載っていたが、とても詩情のある茶碗だった。
あと、片身替茶碗も面白かった。片身替り(かたみがわり)というのは一つの器で違った釉薬や絵付けを施したものをいうそうで、半泥子の場合は土も別々なものを使ってあるそうだ。
片身替茶碗・銘「九華の里」は水色がとてもモダンな感じだった。
もう一つ片身替茶碗で、銘はたしか夜の雰囲気の名だったと思うが…、
片方が志野っぽい女性らしいものと、もう片方が荒くて男性っぽい感じで、ちょっと色気があるな、と思った。
茶道具の中では、茶杓が数点あって目をひいた。
何の木だか分からないが、銘「うねうね」というのがあって、文字どおりうねうねと曲がっているのが何とも遊び心があって楽しかった。
写真の展示の中に、自宅だかの仏壇「泥仏堂」の観音開きの扉に「波和遊」「喊阿厳」とそれぞれ書かれているものがあった。
How are you? Come again. だと言うからお茶目じゃありませんか。
「波和遊」は立派な書にもなっていて、会場でもお目にかかれた。
素晴らしい作品ばかりなのだが、鑑賞者に緊張を強いることはなく、半泥子のゆとりとユーモアに包まれた展覧会だった。
“「川喜田半泥子のすべて」展” に対して2件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
>みちこさん
> ケレンミや嫌味、「どうだ!」という鑑賞者を睨み付ける様な感覚が全く無いのが、
半泥子の器の良い所です。
> 品があって、楽しくて、陽性で。
本当にそうですね。効果を狙ったものって、所詮知れてしまうものなんでしょうね。
天性のおおらかさとか、品の良さは隠しても自然と滲み出るものですね。
それにしても、色んな焼き物があれほどみな良いものばかりとは凄いの一言でした。
おっしゃるように、全体にモダンでセンスがいいって感じですね。
色々試してはいるのだけれど、ケレンミや嫌味、「どうだ!」という鑑賞者を睨み付ける様な感覚が全く無いのが、半泥子の器の良い所です。
品があって、楽しくて、陽性で。
会場では、ろくろを使う半泥子を8ミリフィルムで撮影した家族ムーヴィーが公開されていましたが、口笛でも吹きそうな雰囲気で次々と形作っては台に載せている姿が映っていました。
素封家のモダンで品のある暮らしが伺われました。
作った器を親族の?女性と笑いながら鑑賞している場面も良かったですね。
「あら、こんな風にしてみたの?面白いわね。」「だろ?」
そんな会話が聞こえるようでした。