『晴子情歌』
情けないことに『新リア王』を読んでいたら途中で人間関係が分からなくなり、『晴子情歌』に引き返して再読してみた。
再読することで、以前読んだ時には違った読み方が出来たように思う。
『晴子情歌』上下 高村薫 (新潮社)
昭和50年、晴子が洋上の息子・彰之に自分の半生を書き綴った100通もの長い手紙を送る。彰之は自分の知らない母と母が生きた時代を知る。
大正、昭和の大きなうねりが読者に迫ってくる。忘れてはならない時代の記憶を記そうとする著者の思いが伝わる。
実に壮大な母を恋うる記のようにも思えた。
晴子という人は、実は私にはよく分からない女性だ。以前読んだ時も今度読んだ時もどうも茫洋として実体がつかめなかった。
身に降りかかる数々の出来事を受け入れるしかなかった人生、と見えるが、そこには隠微な思惑がなかったとも言いがたい。そういう底の知れない器を持った女性でもある。
榮の言葉で自分が十分に空っぽであったというのがあったが、榮は晴子に自分と同じ何かを感じ、弟・淳三の妻である晴子と関係を持ったのだろうか。
心に全てを飲み込む空洞を持った人間と、全てを撥ね返す鋼鉄の柱を持った人間ではどちらが強いのだろうか‥‥フト、そんなことを思った。
淳三は、いわゆる人生の敗残者、夫としても父親としても何ら責任を果たすこともなく、常軌を逸した画家として晴子に依存した人生だった。
本当にそれだけだろうか、彼は哀れなだけの存在だったのだろうか?彼の弱さは晴子を縛る強みではなかったのだろうか?そんな思いも湧いてくる。
人間には本人にしか分からない、誰の目に見えない部分がある。それは心の闇かもしれないし、自分だけの楽園でもあるような気もする。
福澤家で一番駄目な淳三が、再読して一番気になる人間だった。