『園芸家12ヵ月』
『園芸家12ヵ月』 カレル・チャペック/著 小松太郎/訳 (中公文庫)
先に読んだ『ボタニカル・ライフ』の中で、いとうせいこう氏は『園芸家12ヵ月』を読んでひどく感動し、自分も無性に何か書きたいと思った。と書いていた。
いわばこの本が『ボタニカル・ライフ』の産みの親ということになる。
カレル・チャペック(1890~1938)はチェコの作家で、本書は1月から12月までの、チェコのごく一般的なガーデナー(自宅の庭があることが最低条件で、けしてベランダーではない)の悲喜交々を、ユーモアを交えながら綴ったエッセイだ。
また、兄のヨゼフ・チャペックによるユニークな挿絵が多数のっており、ほのぼのとした味わいを添えていた。
つくづく感じたのは、園芸家というのは土を愛し、土を作ることに情熱を傾けられる人の事をいうのだなぁということだ。
太陽の光と雨が降り注ぐガーデナーにとって、最大の使命は理想的な土壌を作り上げることのようで、世の中にあるものは土に利用できるものか、できないものかどっちかだと言うから気合が入っている。
もし彼がエデンの園へ行ったとしたら、鼻をひくひくさせて、うっとりしながらそのへんを嗅ぎまわって、言うだろう。
「これは、これは、神様、なんというすばらしい堆肥でしょう!」
そして、おそらく知恵の木の果実を食べることさえわすれ、なんとかしてうまく神様の目を盗み、エデンの土を車に一台ちょろまかしていくわけにはいくまいかと、キョロキョロあたりを見わたすにちがいない。でなければ、知恵の木の根もとのまわりに、水肥をやるための溝がなくなっているのに気がつき、頭の上に何がぶらさがっているのかも知らずに、さっそく溝を掘りはじめる。
「どこにいる、アダム?」
と神様がよぶ。
「待ってください。いま、ちょっと忙しいんです。」
園芸家は背なかごしにそう答えて、せっせと溝を掘りつづけるにちがいない。 (p40)
ベランダー・いとうは、時に身勝手に上から目線で植物に接するが、ガーデナー・チャペックは、常に植物に奉仕しているような、下から目線であるように思えた。
何故かと考えると、それは大地からの距離かなぁと思った。
太陽と雨と大地を味方につけた植物にとって、人間の影響力など弱いものだ。
植物は大地から切り離されれば切り離されるほど、弱くなるものではないのかな。
人間のテリトリー取り込まれて人工的に管理された植物は、人間の愛玩物のように力が削がれたものなのかもしれない。
そういう鉢植の植物に対して、人間が生かすも殺すも自分次第と支配者のように振舞うのも仕方ないことなのだろうか。
とは言え、方でベランダー・いとうのように支配者といえども心の痛みを感じないわけではない。
植物を育てることは、自分の色々なものが見えてくる事にもなるのだろうなぁ。