「皇室の名宝―日本美の華」

先月のいつごろだったか「皇室の名宝―日本美の華」公式HPで、ブロガープレビューを行うとの告知を見つけ、ダメもとで応募したところ、何と驚きの当選!!

というわけで、今日の開催日に先立って、昨日プレビューに参加、「皇室の名宝―日本美の華」1期永徳、若冲から大観、松園まで を見せていただいた。

開会のスピーチでは、皇室と日本の美術との歴史的な繋がりや、明治以降の激動期にいかに皇室が文化財を守り、技術の継承をしていくかなどが述べられ、また平成になってからは、宮内庁の三の丸尚蔵館も設立されて、ともすれば相反する公開と保存のバランスをとりつつ、優れた作品を一般に公開していく方向であることが述べられた。

さらに、若冲の「動植綵絵」の調査過程で新知見があったことが明らかにされ、今回それが公表されていることは大きな注目点だった。

構成は1章 近世絵画の名品

     2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員

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狩野永徳「唐獅子図屏風」(右隻) 安土桃山時代(16世紀) 三の丸尚蔵館蔵

1章では何と言っても狩野永徳の「唐獅子図屏風」と伊藤若冲の「動植綵絵」に目を奪われた。

会場を入ると正面奥に「唐獅子図屏風」が圧倒的な迫力で迎えてくれる。覇権を争う時代精神を反映した力強さが全面に満ち溢れ、これは正に勝者の絵画という感じがした。

永徳を過ぎると若冲の世界に誘われる。

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(写真は許可を得て撮影したものです。)

東京に「動植綵絵」30幅が一堂に展示されるのは、大正15年(1926年)以来83年ぶりとのこと。千載一遇の好機とはこのことだ。

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伊藤若冲 動植綵絵「老松白鳳図」江戸時代 (18世紀) 全30幅のうち 三の丸尚蔵館蔵

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伊藤若冲 動植綵絵「群鶏図」江戸時代 (18世紀) 全30幅のうち 三の丸尚蔵館蔵

「動植綵絵」は釈迦三尊像を荘厳するためのもので、全ての生き物が仏に導かれるものとして描かれた仏教絵画で、単に動植物を描いただけのものではない。

「山川草木悉皆成仏」全ての生き物を光り輝く仏として、若冲はその存在を敬い、愛でる心で描いている。だからこそ手を抜かない。若冲にとって描くことが仏の道だったのだろうと思う。

しかし、見たままを写実的に表わすのではなく、形をパターン化したり、画面構成にこったり、新しいチャレンジをしたり、何より自由な遊び心が感じられるのが若冲の魅力ではないだろうか。

スピーチにあった新知見というのは、「群魚図」の左下隅に描かれたルリハタ(画像では黒っぽく見える)に、西洋の人工顔料・プルシアンブルーが使用されていたということだ。

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伊藤若冲 動植綵絵「群魚図」江戸時代 (18世紀) 全30幅のうち 三の丸尚蔵館蔵

プルシアンブルーは、1704年にベルリンで発見された人工顔料で、日本への渡来は1750年前後、絵具として紹介したのは1763年、平賀源内の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』であるとのこと。

また絵具として使用している最初の作品は1770年代の平賀源内の「西洋人物図」であり、若冲の「動植綵絵」の制作期間は1766年~1769年ころであるので、源内作品に先行し、若冲の「群魚図」が西洋の人工顔料・プルシアンブルーの最初の使用例になるとのことだ。

過去の若冲「動植綵絵」関連記事

三の丸尚蔵館「花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」

第一期の感想

第二期の感想

第三期の感想

第四期の感想

第五期の感想

相国寺承天閣美術館「若冲展」その1

相国寺承天閣美術館「若冲展」その2

永徳、若冲の次は葛飾北斎「西瓜図」!!

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2005年の北斎展では入れ替えのため対面ならずで、残念至極だった。(ご同輩もいるのでは?)

半分に切った西瓜の上に薄い和紙がかけられ、亀裂の入った赤い果肉が透けて見える。

上には菜切り包丁が一丁、静かに置かれ、その上には帯状に薄くそがれた西瓜がくるりくるりと捩れながら垂れ下がっている。

何とも不可解、実に泉鏡花的西瓜図なのだ。

見ていたら、西瓜の亀裂が若冲の真っ逆さまに落ちる「蘆雁図」の氷の表現を連想させて面白かった。

もう一人、なぜか気になる謎の絵師・岩佐又兵衛の「小栗判官絵巻」も見逃せなかった。

この作品も「又兵衛風極彩色絵巻群」の一つで、物語の内容は主人公小栗と照手姫の恋愛譚を中心に、蘇りあり、復讐劇ありの波乱万丈。最後は大往生を遂げた小栗が八幡宮のご神体に祀られるというもの。

展示してあった場面で面白かったのは、一度死んだ小栗が閻魔大王の計らいで餓鬼阿弥(手足が細く腹が以上に膨れた醜い姿)として娑婆にも返され、熊野の湯につかると元の姿に戻るというので、狂女のふりをした照手姫が土車に乗せた餓鬼阿弥を引いて行くところ。

狂女のふりをした照手姫が笹を持って歩く様子は、又兵衛の「舟木本洛中洛外図」にもあって興味深かった。

2章では帝室技芸員として活躍した画家や工芸家の様々な作品が展示されていた。最高水準の技術を目の当たりにして壮観だった。

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帝室技芸員:明治23年10月、美術の保護奨励を目的として設置された制度。日本の美術を奨励し、工芸技術を練磨し、後進を指導することを目的とした。明治維新によって幕府や大名の庇護を失った画工や工芸作家たちの保護優遇からはじまり、西欧王室のように独自の文化伝統を持つことが一等国になるために必要であるとの認識もあった。昭和19年まで続き、日本画、洋画、工芸、建築、写真まで幅広いジャンルから79名が任命された。 (報道資料より)

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海野勝ミン(王偏に民)「蘭陵王置物」 明治23(1890)年 三の丸尚蔵館蔵  

海野勝ミン(王偏に民)の「蘭陵王置物」が特に印象に残った。けして大きな作品ではないのに、みなぎる力強さ、精巧な作りに惹きつけられた。

最後は優しい調和のとれた上村松園の「雪月花」で締めくくり。

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上村松園「雪月花」 昭和12(1937)年 三の丸尚蔵館蔵

ブロガープレビューで「動植綵絵」と「西瓜図」を見られたことは無上の幸運だった。
でも、もう一度ゆっくり見てこようと思っている。

ところで、ブロガープレビュー担当の方からこんな質問をいただいた。
「もし1点だけ持って帰れるならどれにするか? どこに飾りたいか?」というものだ。
実は私はいつも展覧会で「これは欲しい!」とか「これは頼まれてもいらないなぁ~」とか思いながら見ている。
今回一点というのはかなり厳しい!
やっぱり動植綵絵―だったら、血の雨に敢然と立ち上がる武将のような「南天雄鶏図」が欲しい。気合を入れて描かなきゃいけないときに、湧き上がるパワーを共感したい。

欲しいと思った絵は何点でも心に持って帰って、心の名宝にしようではありませんか。

「皇室の名宝―日本美の華」公式HP