「ベルギー幻想美術館展」

Bunkamuraで開催の「ベルギー幻想美術館展」に足を運んだ。

 

19世紀後半から20世紀前半にかけてのベルギーに見えてくるのは、幻想の系譜―象徴主義のフェルナン・クノップフや世紀末デカダンスのフェリシアン・ロップス、表現主義のジェームズ・アンソール、シュルレアリスムのルネ・マグリット、ポール・デルヴォーなどなど。

今回はこれらの画家たちの作品をコンパクトに見渡すことができる展覧会だ。

 

「幻想」という言葉は魅力的で、怖さもあるが開放感と安らぎもおぼえる。それは、つまらない常識や堅苦しい理論のタガを取り去り、各自を夢の王国へ誘う護符のようだ。

この幻想美術館に集められた作品は、それぞれの画家の内面世界を描出したもので、彼らの心の奥底にある願望や郷愁、抵抗や恐怖、理想の女性やトリッキーな企みが画面上に現れている。

ここにある絵を読むことは、画家の心を読むことに他ならない。そしてそれは、自分の心を読むことでもあるかもしれない。

 

いつもはクノップフに注目するのだが、今回、質量共に印象に残ったのはジェームズ・アンソールとポール・デルヴォーだった。

アンソールの版画群には惹きつけられた。特に《キリストの生涯》(32点組)のリトグラフはカリカチュアライズされた画風がユニークだ。

受胎告知から誕生、十字架、昇天、聖母被昇天まであり、《エジプトへの逃避》では頼りなさげなロバが脱糞していたり、《キリストの洗礼》では後ろからキリストがタライでザバ~ッと水をかけられていたり。

愛と憐憫と皮肉が同居しているようで面白かった。

アンソールの描く人間はどこか操り人形のようだ。人形と仮面と人間、どこに真実があるのか?狂気じみた混乱に巻き込まれるのがアンソールだ。

 

デルヴォーは、どうもあの独特な女性像に違和感があって、今までまったく好きになれなかったが、今回意外なくらい嵌ってしまった。

会場の説明書きによると“デルヴォーの描く女性像の原点は、ブリュッセルの移動遊園地で見た機械仕掛けで動く裸体の人体模型”だそうだ。

なるほど、デルヴォーの描く「女性」は人間由来ではなくて、人形由来だったのか。いわゆる「女性」という形をした理想の人形なのだと思うとストンと落ちるものがあった。

 

夜の街を全裸の女性たちが密やかに、優雅にそぞろ歩く‥‥。

彼女たちは永遠に歳をとらず、誰も愛さず、互いに愉しげに囁きあっているが、誰もその言葉を解さない。当のデルヴォーさえも遠くから垣間見るだけの存在で、仲間には入れないのだ。

そこには儚いはずのヴィーナスたちの奇妙な存在感があるようだった。

 

最後にもう一人、レオン・フレデリックという画家が気になった。

《春の寓意》と題された作品は、古典的なスタイルで描かれた個人趣味的な絵画に見えた。

背景の草原などは印象派風の筆あとが残るようなタッチで描かれているのだが、前景の人物のエッジが切り取られたようにその上に乗っていて、まるで切り貼りしたように見えた。

背景と人物との関わりの無さ、乖離具合が妙に引っ掛かるのだ。人物に対するこだわり方といい「この人ちょっと壊れているんじゃないかなぁ」と感じた。

後でHPを読んだら、初期は労働者を題材とした絵などを描いていたが、世紀末は神秘主義的な絵画に変貌したとある。さもありなんという感じだ。

 

今回は展覧会の副題に「クノップフからデルヴォー、マグリットまで 姫路市立美術館所蔵」とあって、カタログは同館の薄いものだけで、展覧会専用のものが無かった。訳ありのようす。

連休中に行ったのだが、同じ日に行った「ゴーギャン展」の混雑ぶりとは打って変わってこちらは静かなものだった。ゆっくりと鑑賞でき、満ち足りた時間を過ごすことができた。

 

Bunkamura「ベルギー幻想美術館展」