『生物と無生物のあいだ』
『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一 (講談社現代新書)
生命とは何か、生物を無生物から区別するものは何かということを、生物学者である著者が「生命とは動的平衡(絶え間なく壊される秩序)にある流れである」という動的平衡論をもとに考察した一冊。
とは言え、内容は専門の分子生物学の話にとどまらず、著者の米国での興味深いエピソードなどが織り交ぜてあり、専門知識の無い私にも、無理なく一気に読める面白さだった。
日本では理想化されている野口英世の米国での評価、日米での研究者や大学のあり方の違い、ノーベル賞に輝いた「DNAの二重ラセン構造解明」に纏わる盗用疑惑など、頂点を目指す研究者の地道な努力と、熾烈な競争の一端をうかがい知ることが出来た。
小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。 (p135)
貝殻というとルネサンスからバロックにかけて様々なものを収集展示した「驚異の部屋」や、若冲の《動植綵絵》を思い出す。
貝殻が人々を魅了するのは、動的な生命と永遠に止まった時間、その両方を手にすることができるからなのだろう。
秩序がもたらす美だけれど、機械的に刻まれているわけではないところに、心の入る余地がある‥‥。
肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかもそれは高速で入れ替わっている。 (p163)
ゆるい「淀み」というのがとても印象的だ。人間は実体というより現象としてあるようだと思った。
ふっと絵画の輪郭線を思った。人間は曖昧な塊なのだから、印象派の絵画にあるように背景と微妙に混ざり合っているのも、単に表現ではなくて一つの真実なのだなぁと思った。
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう応えることができる。 (p271)
著者の言葉は詩的で端的だ。生物の不思議や生命の大切さが、静かな感動をもって確認することができる。
エピローグに、少年時代のトカゲの赤ちゃんに纏わる苦い思いが語られていた。その体験は今でも心に宿っている諦観のようなものになっているという。
優れた生物学者のいう人間の限界は、とても重く、尊いものだと思った。