『寡黙なる巨人』

寡黙なる巨人

『寡黙なる巨人』 多田富雄 (集英社)

ある日、何が何だか分からないうちに救急車で運ばれ、生死を彷徨ったあげくベッドで目覚めたら、喋ることも、唾を飲み込むことも、右手を動かすこともできなくなっていた‥‥。

そんな恐ろしいことが、世界的に有名な免疫学者の多田富雄さんの身の上に起こったのは、2001年旅先でのことだった。

脳梗塞で、あっという間に半身不随、言語障害、嚥下障害の重度の障害者となってしまわれた。

免疫学の権威であるだけでなく、能楽に造詣が深く自作能も手がけ、鼓の名手でもある。専門の著作のみならず洒脱でユーモアのあるエッセイまで書かれる。そんな正真正銘の科学者、文化人である方が‥‥だ。

ある日を境に、今までの人生が一変する。不幸中の幸いなのだが、記憶や思考能力が以前のままだけに、そのギャップは一層残酷だったに違いない。

本書は絶望の底から、懸命にリハビリに励まれた著者による闘病記だ。

新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱々しく鈍重だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛れたまま沈黙している巨人のように思われた。 (p41)

リハビリが全く進まない中、ある日感じた、かすかな変化の兆し。著者は自分が回復するという感覚ではなく、自分の中に新しい何者かが出現したと感じる。

新生への期待と慄きとが感じられて、つくづく強い方だなと尊敬の念を抱いた。と同時に家族の支えあったからこそ、希望を失わない精神力が保たれたのだろうと思った。

著者は障害を負ってからワーポロを習い始め、左手だけで思考を文字にする術を得た。本書もそうした賜物だ。

ワープロのみならず歩行訓練は本当に苦労されていて、ある程度機能が回復するまでと、回復のレベルを下げないための訓練が必要で、前向きな実践が終わることがないのがリハビリだと感じた。

そして著者自身がリハビリを体験したことで、日本のリハビリテーション医学が独立した臨床科学になっていないことを実感されたそうだ。国のリハビリに関する法制度の改悪にも言及し、その分野に活発な提言をされているのは流石だと思った。

印象に残ったのは、火事に巻き込まれて救助されたとの事、その時隊員が無線で著者を「半身不随の老人」一名と報告していたのが聞こえた、というところ‥‥現実はシビアだ。

また、病院へ運ばれてから初めて鏡で自分の顔を見たとき、歪んだ顔がミケランジェロの《最後の審判》にある生皮に描かれた自画像のようだったと書かれたところは、私もそれを思いだして、愕然と言うより恐怖に近いなと思い、どれほどのことだったのかと言葉がない‥‥

明日、自分がどうなるか分からないから、毎日を大切にしたい。

自分は「その時の覚悟」など出来るほど達観した人間じゃない。

その時はその時だから、今を大切にするしかないと思っている。