『おひとりさまの老後』
『おひとりさまの老後』 上野千鶴子 (法研)
長生きすればするほど、みんな最後はおひとりさまになる。
女性はずっとシングルの人も、途中から自分の意志でシングルになった人も、先立たれてシングルになった人も、最後は等しくシングルになる確率が高い。
そこでベテラン・シングルの著者が、如何に楽しく「おひとりさまの老後」を過ごすか、そのノウハウを伝授しているのが本書というわけだ。
著者の断定的・挑発的なものの言い方に、反感や不快感がないことも無いが、そこが読んでいて面白いところでもあるからしょうがない。
共感する部分と、これは違うのではないか?と思う部分があり、著者は人を怒らせながら考えさせる人だなと思った。
例えば以下は、あるアメリカのお宅を同僚男性と訪ねた後、彼が漏らした言葉から。
「あんな大きな家にひとりで住んでいるのか。さみしいよな」
わたしはプッツン来た。大きなお世話だ。
アメリカのキャリアの女性の例にもれず、彼女も離婚経験者だった。子供たちを育てあげ、大邸宅にひとり暮らし。うらやむことはあっても、同情する必要なんてあるだろうか。
その後も、一戸建ての住宅で、同じようなシングルライフを送っている高齢の女性に何人も会った。車いすでも移動が容易なゆったりした家のつくりや全室温度差のない暖房設備(当時はセントラルヒーティングということばさえ知らなかった!)は、20年以上前の日本人にとっては垂涎の的だったはずだ。これらは、日本でもようやく高齢者住宅のスタンダードになってきたが、家が広くて困ることなどなにもない。メンテナンスがたいへんなら外注すればすむ話だ。
ゴキブリのように身を寄せ合って暮らすことを、「さみしくない」のとカンちがいする貧乏性は、たいがいにしてもらいたい。高齢者のひとり暮らし、「おさみしいでしょうに」と言うのは、もうやめにしたほうがよい。とりわけ、本人がそのライフスタイルを選んでいる場合には、まったくよけいなお世話というものだ。(p42~43)
「一人でいる人=さみしい人」というレッテルはよくないというのには同感だ。
もっと言えば、これは何も老後のことではなく、どんな年齢でも一人でいるとそう思われがちなのはどうしてだろうと思う。
一人でいることに耐性がある方が、将来おひとりさまになった時に生きやすいのは確かだと思う。
しかし、本書を読んでいて気になるのは、著者の紹介する例が前記のアメリカ人女性のように、優秀な頭脳と財力と頼りになる友人を持っている高齢者ばかりだということだ。
皆、おひとりさまに必要なスキル、マネー、ネットワークを持っている恵まれたシングルのように思えるのだ。
離婚後や死別後に自分ために家を建てられる人の話が続くのでは、それこそ羨ましいけど、それはスタンダードではないような‥‥
私は訪問ヘルパーをはじめて5年目で大した経験もないが、著者の掲げる「介護される側の心得10カ条」はとても興味深く読んだ。
掲げられている心得を踏まえた方に、賢く使っていただくに越したことはないという感じだ。
と同時に正直「今までこんなに立派な意識を持った人の介護はしたことがないなぁ。」とも思った。
もし、これを全て実践できるクリアな頭脳の状態で、生活援助(掃除、調理、買い物など)ではなく身体介護(排泄・食事・入浴介助など)が必要になったなら、相当大変だろうと思った。
私は自分が身体介護が必要になった時点からは、出来れば徐々に、明るく壊れていきたいものだと思っている。
「心得」を読んで、ヘルパーの仕事を通して感じたことをちょっと書いてみようと思う‥‥
「介護される側の心得10カ条」
1、 自分のココロとカラダの感覚に忠実かつ敏感になる
敏感に反応できて、それを言葉で伝えられればそれに越したことは無いが、そうできない方が多いのではないだろうか。それを周りで気づくようにするのが大切だと思う。
若いうちから「自分カラダの声」に耳を傾けるべきという著者の意見には賛成だ。
2、 自分にできることと、出来ないことの境界をわきまえる
そんなわきまえ、だれにだって難しいと思う。
介護されている方が、何かをやろうとする意志があるだけ良いほうだと思う。失敗して汚れたり散らかったりしたら、ヘルパーが片付ければいいんだから。能力のある介護士さんならその意志を上手く汲んで、まわりも困らない行動にもっていけるのだろう。
3、 不必要ながまんや遠慮はしない
ヘルパーは報酬を得て(多くはないと思うが(笑)仕事をしているので、遠慮は必要ないと思う。
介護計画に基づいているので、いきなり言われてもヘルパーが出来ること出来ないことがあるが、納得が行かない点があればご本人でもご家族でも、ケアマネさん等に相談して改善すればよいと思う。
普通の大人でも、人にものを頼む、人を使って何かをさせるということは、言い方や方法など色々面倒だと思う。ましてや介護される立場のお年寄りだ、面倒になってがまんしてしまうということは多々あるだろう。
それをいい事に見てみぬフリをするか、察して用事をこなすのかはヘルパー次第となる。心しなければ。
がまんも遠慮もしなくて、はじめから「何も求めていない」というのは、こちらも虚しくなる。要求があれば言ってもらえた方が助かる。がまんは身体に悪い。
4、 なにがキモチよくて、なにがキモチ悪いかをはっきりことばで伝える
出来ればそうして欲しい。
必要な手助けが出来たと思えることが一番。快適になってこそのヘルパーだ。
5、 相手が受け入れやすい言い方を選ぶ
今まで幸いにして高飛車な命令口調で、仕事を頼まれたことは無い。
それより丁寧に用事を頼むが、それをすれば時間がオーバーしてしまう、という方が困ってしまうなぁ。
6、 喜びを表現し、相手をほめる
それが可能な方はそうしていただければありがたい。
良好な人間関係のために、これは誰に対しても必要なことだと思う。
7、 なれなれしいことばづかいや、子ども扱いを拒否する
子ども扱いは最もヘルパーが注意しなければいけない事の一つ。たとえ介護されるご本人が分からないとしても、これは礼儀に反すると思う。
また、相手にあるていどの敬語で接することは、適度な距離を保つためにも必要だと思う。
ヘルパーは身内ではないのだから。
8、 介護してくれる相手に、過剰な期待や依存をしない
たとえば、帰りに郵便局に寄って~してと頼まれたのは困った。時間外労働だし、なによりトラブルがあっても責任が取れないので困る。
一回だけどうしても断れなくて受けてしまったことがある。でも次にお会いしたときに「時間がかかって別の仕事に間に合わなくなるので‥‥」といってお断りさせてもらった。
9、 報酬は正規の料金で決済し、チップやモノをあげない
これはそのとおり。
介護される側のお年寄りは、いつも「有難う」と、お礼ばかり言うことになるので、たまにはヘルパーから「有難うございます」という言葉が聞きたいと思う気持ちも分かる。
また、ヘルパーに対するねぎらいの気持ちを表わしたいと思う方もいらっしゃるし、だからよりよい介護を願います、ってこともよく分かる。
お金は論外だが、ちょっとしたものを断って人間関係がギクシャクして、もっと困るときもある。本当に悩むところだ。
仕事が終わった後に、お茶やお菓子を出してくださる方もいらっしゃるが、私の所属しているところではチップやモノは当たり前だが、基本、お茶も頂かないことになっている。
しかし、その場でお年寄りが「人に仕事させて、自分だけお茶を飲むわけにはいかないよ」と湯飲みを二つ並べられると、むげに断るわけにも‥‥
私は「すみません、じゃ今日だけ頂きますね。毎回出さないでくださいね~」とか言うのですけれど。
10、ユーモアと感謝を忘れない
ほんの些細なことが少しずつ出来なくなるのが歳をとるということだなぁと思う。ヘルパーはその些細なやっかいごとを解消する手助けに過ぎない。
ましてその手助けも時間で区切られていて、身内のようにエンドレスに関わるわけではない。
私はお年寄りと接することで「老い」を考える機会を与えてもらった。自分の親に対して以前より優しく、忍耐強く接することが出来るようになった。それが自分にとって一番プラスになったことで、私は感謝している。
ユーモアも感謝も介護される側だけのものではない。
「心得」は現在介護を必要としない人たちが、必要となった時のための心得であると思うが、そういう自分の意志が将来のその時に、どれだけ生かされるのかは疑問だ。
でも、著者の言うように介護の質を上げ、賢い利用者になるために今から心得ておくことは大切なことだとは思う。
では、現在介護されている方は、この心得を読んで(可能ならばだが)どう思うのだろうか。
本当はそれが知りたいところだ。
実際、特別に心得を意識しなくても、ちゃんと心得ている方も多い。
たとえ介護が大変でも、この人の役に立ちたいと思わせるお年寄りがいらっしゃるものだ。
私には何がそうさせているのか分からないが、それは一生をかけてその方が作り出した何かだ。
そういう方に出会えると、ほんのわずかその人の歴史に関われた事を、本当に不思議な縁だと思うのだ。