『デューラー ネーデルラント旅日記』

デューラー ネーデルラント旅日記 (岩波文庫)

『デューラー ネーデルラント旅日記』 前川誠郎/訳 (岩波文庫)

1520年7月、北方ルネサンスの巨匠、アルブレヒト・デューラーは妻を伴ってニュルンベルクからネーデルラントへ出発した。本書はそれから一年にわたる長旅をデューラー自身が記録した旅日記だ。

そして、この旅日記は単なる見聞録としてではなく、旅の間の収支明細を記録した出納簿であることが大きな特徴になっている。

通行料や宿代、食事代、チップ、郵便代、服地代、本代、自作絵画の報酬などなどあらゆる物の値段が記録されていて、当時の社会を知る上でも、お金の出入りからデューラーの人となりを知る上でも大変興味深い記録になっている。

そもそもこの旅の目的は、絵画制作によってデューラーが受け取るはずだった年金の未払い分を新皇帝カロルス5世に請願するものだった。

幸いにも8月の末ごろにはネーデルラントのマルガリータ女帝から、カロルス王に彼のために弁護するとの知らせを受け、概ね一件落着。

安心したのか当初二ヶ月ほどの旅行の予定だったが、繁栄を極めた貿易港アントウェルペンが好奇心をくすぐり、居心地のよさもあいまって、当地を拠点に各地へ観光を続け一年余りの長旅となったようだ。

面白いと思ったのが、旅行に膨大な数の版画を持っていっていることだ。旅行中に50歳を迎えたデューラーはすでに高名な画家として行く先々で歓待されるが、その際、その版画を有力者にお礼として進呈したり、販売したりしている。

量産できる版画は彼にとって大きな収入源だったようで、ある手紙によると「祭壇画の代わりに版画をやっていたらもっと裕福になっていただろう。」と書いているそうだ。

また、精力的に有力者や(そうでない者も)珍しい動物、建物などのデッサンを描いてそれにも驚かされる。

しょっちゅう木炭などで肖像画を描いていて、それを贈ったり、何かの支払いにしたり、お金を受け取ったり、物々交換したり―この巨匠は実にマメなのだ。

好奇心も相当なもので、鯨が打ち上げられたというので見物に行って、危うく遭難しそうになったりしている。

さらに、日記の中にはファン・アイクやファン・デル・ワイデンの作品を見たという記述や、ネーデルラントの風景画家パティニールと親しく旅行をしたこと、エラスムスの肖像を描いたことなども書かれていて、興味が尽きない。

中でも、マルチン・ルターが捕らえられた(デューラーは捕らえられて殺されたと思っていた)というショッキングなニュースが伝わり、デューラーは大いに動揺し、今までの淡々とした金銭記載の日記とは打って変わって「哀悼文」として感情をあらわにした文章を残している。

実はこれはルターが身を隠すためにザクセン公が仕組んだことで、事前にルーカス・クラナッハは知らされていたらしい。

解説によると、この時代のドイツの画家たち(デューラー、クラナッハ、ホルバイン、グリューネヴァルト)と政治との繋がりの深さは特筆するものがあるそうだ。

デューラーが拠点としたアントウェルペンは世界中から珍しい物が集まっていたようで、ルネサンス以来の「ヴァンダーカンマー(驚異の部屋)」を日記からも伺い知ることが出来る。

椰子の実、インコ、貝殻、野牛の角、鹿の蹄、象牙、メダル、大きな魚の鱗、珊瑚、かたつむりの殻、剥製、鳥の羽などなどを、デューラーは貰ったり購入したりしている。

私などでは気が付かないが、もっと歴史に詳しい方が読めばさらに沢山の面白い事柄が発見できるに違いない。

本書が正に《驚異の部屋》だな、と感じた。