『悪党芭蕉』

悪党芭蕉 (新潮文庫)

『悪党芭蕉』 嵐山光三郎 (新潮文庫) 

風流、枯淡の人だと思っていた芭蕉を「悪党」呼ばわりとは!?

そう思って以前から気になっていた本だったが、これが目から鱗の内容で実に面白かった。

没後まもなくして芭蕉は奉られて、句の鑑賞というより芭蕉信仰がはじまり、それは今でも続いている。と著者は指摘する。

「悪党芭蕉」とタイトルをつけて、老人アイドルと化した芭蕉を、俗人と同じレベルで、と考えなおそうとしたのは、そのためである。芭蕉もひとり、私もひとり、読者もひとりの地点に立つところから考える。 (p14)

芭蕉は俳諧師といわれるけれど、恥ずかしながら私はこの俳諧自体がよく分かっていなかった。

そもそも連歌は短歌の五七五の長句と七七の短句を数人で交互に読み継いでいく詩形式のことで、それを百句読み継ぐ百韻連歌というものを、芭蕉が三十六韻に縮め歌仙連歌とした。また俗語や漢語、機知、軽みを盛り込んだ連歌を俳諧連歌というのだそうだ。

具体的に歌仙の流れを見てみると‥‥。

句は懐紙二枚に書くものだそうで、

一枚目の懐紙を二つに折って十八句(初折表六句)と(初折裏十二句) 

二枚目の懐紙も二つに折って十八句(名残りの折表十二句)(名残りの折裏六句)

1、 発句   連歌の最初の句 ‥‥これが正岡子規を経て俳句に。

2、 脇    原則は体言止め。発句を順当に受ける。

3、 第三句  て、らん、もなしで止めて動きを出す。変化する。

4、 平句   四句から三十五句まで。堂々巡りを避け、進めていく。

5、 挙句   最後の句 ‥‥これが「挙句の果て」

の合計三十六句で構成。

連歌には式目と呼ばれる取り決めあって、初折表六句では神祇、恋、無常、人名などを読まない等々、複雑なルールがあるそうだ。

で、俳諧師というのはこの俳諧連歌という複数の人によって作り上げる虚構の世界、イメージの連鎖を、そもそもの人選から、次々と出てくる句のアドバイスまで諸々を巧みにコーディネートしていくプロ。俳諧興行を成功させるべく手腕を発揮するのが俳諧師、ということになるようだ。

俳諧は「座の文学」だと言われている。同じ座の芸術でも茶道では、形式を重んじ何もかもが滞りなく終わる。

だが、歌仙では静寂の破壊も可能だという。

 歌仙ではそれをやる。だだし正客に茶をかけるという無粋さではなく、風雅をもってひっくりかえし、その場を戦場と化すことぐらいお手のものだ。それが町なかのにぎわいに転じ、雪山となり、夏草となり、さらにはするめ一枚に化けたかと思うと無頼の脇差しとなり、田の蛙になる。前句を付句で切り返し、それをつぎつぎと転換していくパノラマだ。その反転を自在になして一巻の歌仙が巻かれる。したがって歌仙にはまると、つみかさねではなく、きりかえしの技がうまくなる。転換の妙である。発句一句のみならば十七文字の宇宙であって、そこで完結するが、連句となると、そうはいかない。技のかけあいが句づくりの骨法となる。芭蕉はその仕切り役であって、仕切りによって俳諧はいかようにも動くのである。この思い切りのよさを、自分の人生にしてしまうと、失職する。 (p142)

芭蕉の弟子には罪人や危険人物が多い。芭蕉自身も江戸で甥の桃印と妾の寿貞との駆け落ちを隠すことで罪が及ぶ危険があり、故郷、伊賀上野へ終生負い目があった。さらに確信犯なのは、男色相手で流罪者の杜国を連れての「恋の道行き」もある。

弟子の好き嫌いが激しく、弟子も芭蕉から離反していくものが多かったという。

実力者で生意気な其角、誠実な去来、芭蕉の寿命を短くした観の酒堂と之道など、芭蕉と門弟との関係は読んでいて特に興味深かった。

 芭蕉は俳諧興行が本業で、旅はそれに付随する風狂であった。『鹿島紀行』『更科紀行』は月見をする目的で出かけた。いい句を得れば画賛にして商品とする。画家が「売り絵」の写生旅に出かけるようなものだ。 

(中略)

 漂白願望と俳諧興行がむすびついたところに、芭蕉の面目がある。其角が言うところの俳諧商人であって、其角はぬけぬけとそう言って見せたが、芭蕉はそこまでひらきなおらず、「風雅なる人に出会う喜び」と言った。そういう言い方を、芥川龍之介は、芭蕉には大山師的な性格がある(「続芭蕉雑記」)と評した。文芸で生活するものはすべて大山師的な性格の持ち主であって、それは芥川とて同じである。 (p236)

最後に著者は、芭蕉は知れば知るほど凄みが見えて、どうぶつかったってかなう相手ではない。と記している。

嵐山さんの大山師的な風貌(失礼か)が、チラリと浮んだ。