『すべての終わりの始まり』

すべての終わりの始まり (短篇小説の快楽)

『すべての終わりの始まり』 キャロル・エムシュウィラー/著 畔柳和代/訳 (国書刊行会)

表題作を含む19短編と女性SF作家の大会でのスピーチを収録。

友人がチラリと漏らした話が面白そうだったので、読んでみることにしたが、これがどうにも歯が立たない。難しすぎた。

正月ボケした頭で読んだせいではなく、私レベルでかな~りクリアなときに読んでもまだピンとこない。まったく。

例えばシュールレアリズムは“手術台の上の蝙蝠傘とミシンの出会い”のように現実にあるもの同士のありえない組み合わせで、新しいイメージや物語や美を作り出す。素材となるのは既知のものだ。

何と言うか、エムシュウィラーの小説はその素材自体が分からない。得体の知れない何かが、当然のように現実世界に溶け込んでいて、分かっているはずの現実世界という前提が崩れる。

境界があって、ここからあちら(異界)へ行くのではなく、ここが変質する。

現実が異化された世界にどうも思考が付いて行かないという感じだ。

得体の知れないものが何を象徴するのか、或いはしないのか。こういう小説をどう読めばいいのかが分からない。

いや、読み方に正解はないのかもしれなくて、感じさえすればよいのかもしれないが、あいにく私にはその方向に働くセンサーが鈍いようなのだ。

分からないの連発で我ながら厭きれるが、そんな中でも『私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない』は面白かった。

A(人間のようでもあり、エイリアン、お化け、幻覚、その他何だか分からない)が、ある女性(Aと似しているらしい)の家にこっそりと入り込み、好き勝手に振舞う。女性は何か変だと感じつつも、何だかはっきり分からない。

ある時、Aはある男がその家を訪ねるように仕向ける。

女性はAの影響(被害?)を受けることで、確かにある男と出会うが‥‥こんな感じの話。

いつもとは違った部分の脳ミソで読まなければならず、習慣的な解釈が出来ない分、読むのにとても苦労した。

まあ、脳にはいい刺激にはなったかな~と、ため息混じりに本を閉じたのでした。

刺激をくれたMさん、ありがとう!