「アンドリュー・ワイエス展 創造への道程(みち)」

Bunkamuraでの展覧会は終わってしまったけれど、もう一度じっくり見たい展覧会だった。もっと早くに見に行っていればと、ちょっと後悔した。

アンドリュー・ワイエス(1917~)は私の中では、古典技法のテンペラを現代のアメリカン・リアリズムに蘇らせた画家という認識で、《クリスティーナの世界》が先ず思い出される。

「ニューヨーク近代美術館」http://www.moma.org/ 

「 Andrew Wyeth. Christina’s World 」 で検索すると作品を見ることができます。

今回残念ながらこの作品の展示はなかったが、展覧会の副題に「創造への道程(みち)」とあるように、《クリスティーナの世界》の最初の構想を得たときの素描をはじめ水彩などの展示があり、ワイエスが何に心を動かされ作品を描いていったのかが伺えるようになっていた。

展覧会全体をとおして、素描やラフな水彩からドライブラッシュやテンペラに至るプロセスを紹介している作品が多数あり、分かりやすく興味深い展示だった。

しかし、ワイエスの素描や水彩は単に下描きとして終わるものではなく、対象を捉えた鋭い感情の痕跡が描かれていて、それは緻密なテンペラ以上に感動するものだった。

それはリーフレットに書かれた「ワイエスとその技法」から分かるように、それぞれの材質や技法と作者の感情や思考が一体化していることによるものなのだろう。

素描について

「私にとって、鉛筆素描は非常に情緒的で、非常に素早く、まったく予想もつかない素材だ。とても素晴らしい黒の芯をはさみこみ、鉛筆の芯を強く押し付ける。そうすると、芯が折れる。そうやって、対象との間に起こる私の強い印象を表現するのだ。(中略)鉛筆はフェンシングのようで、時には射的のようだ。今でもいざ始めようとすると時折腕が、たいていの場合には、指先がふるえ始めるのだ。」

水彩について

「水彩の長所は、そのとき感じたことをそのまま素早く描くことができることだ。これが水彩の自由な面だ。水彩では気取ったりしてはいけない。」

ドライブラッシュについて

「私は対象に対して気持ちが深く浸透しているとき、ドライブラッシュを使う。私は細めの筆を絵具に浸し、筆先を広げ、大部分の水分と絵具を指を使って絞り出す。そうすると、本当にわずかな絵具だけが残る。ドライブラッシュは織物のような作業だ。水彩を幅広く薄塗りしてドライブラッシュの層を織り合わせていく。」

テンペラについて

「これは顔料に蒸留水と卵黄を混ぜ合わせた絵具だ。私はこれらの色の感じが好きだ。(中略)テンペラでは私は組み立てる。幾層にも積み上げて、大地のように出来上がるのだ。テンペラは瞬発的に対応できる顔料ではない。絨毯やタペストリーを織るようにして、ゆっくりと積み上げて、編み合わせていかなければならない。」

「アンドリュー・ワイエス展」(1995年、愛知県美術館/中日新聞社)p16より抜粋

対象を一瞬で捉える水彩も、重層的に捉えるテンペラも、どちらも対象の本質を掴もうとする点では同じだと思うが、それぞれ違った魅力を私達に与えてくれることは確かだ。

ワイエスの水彩は、作者の新鮮な感動や衝撃が一気に本質まで迫っているところが素晴らしく、一方、ドライブラッシュやテンペラでは衝撃が収まったあと、長い時間をかけて対象と深く向き合っている姿勢に感動した。

草原の細い草、髪の毛の一本一本に、神経がかよっていることに圧倒された。もし機械的な「作業」だけで画面が埋まっていたら、見るものにあれほど深い感動を与えることは無いだろう。

展覧会を見終えて、そういえばだいぶ前にも世田谷美術館でワイエス展を見たことを思い出した。

調べてみたら1988年で、今からちょうど20年前のことになる。その時は大きなテンペラ作品が多かったような気がする。金髪が美しい「ヘルガシリーズ」も見たと思う。何だか記憶も定かじゃないけれど‥‥。

今回色々と感じたことも、あと20年したらどのくらい覚えているのだろう。

その時私は何をしているのだろう。 ふっとそんなことを考えた。

「アンドリュー・ワイエス展 創造への道程(みち)」は来年、愛知県美術館と福島県立美術館へ巡廻するそうです。

「愛知県美術館」 http://www-art.aac.pref.aichi.jp/

「福島県立美術館」 http://www.art-museum.fks.ed.jp/menu_j.html