網野善彦の本2冊

一日一日と更新をサボっていたら、読了本がどんどんたまって、抜き差しならぬ状態に。

しばらく何冊かまとめて記録しなきゃ。まったく何でも直ぐ忘れちゃうからね。

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)

『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』 網野善彦 (平凡社ライブラリー)

表紙の内容紹介文は

“近世の縁切寺、中世の市、古代のアジール、また遍歴する職人や芸能民たち―歴史の表舞台に登場しない場や人々のうちに、所有や支配とは別の関係原理、<無縁>の原理の展開と衰微を跡づける。日本の歴史学を一変させた決定的書物。”とある。

半年くらい前に読んで、また読んでみた。読めば読むほど提示された問題は興味深く、今まで抱いていた歴史認識を覆すインパクトがあった。

とは言うものの、以前読んだ同氏の「日本の歴史を読みなおす」や「異形の王権」は比較的読みやすかったが、本書はより専門的な内容となっていて、私にはかなり手強い一冊だった。

「無縁」「公界」「楽」の特徴は、大名などの権力の不介入、税の免除、私的隷属からの解放、賃借関係の消滅、自治組織の存在、平和領域であることなどがあげられるという。

具体的には寺社(縁切り寺や駆け込み寺は顕著な例)、河原や辻、中洲、また門前に立つ市、堺などの自治都市、江ノ島などの特別な場所がそれにあたる。

また、そこに住む人や行き来する職能民や芸能者(鍛治、番匠、鋳物師、金融業者、種々の商人、陰陽師、医師、能役者、獅子舞、連歌師、白拍子、桂女、遊女、時宗・禅律僧、勧進上人、非人等々)は無縁者、公界者と呼ばれていたそうだ。

彼らの一部と天皇や寺社との関わりは、歴史のうねりの中で帰属する権威の浮き沈みに呼応しながら畏怖から賤視へと変化してものもある。

一方、文化の担い手や流行の発信源として特化し、現在まで脈々と文化・技能を伝えているものもある。

さらに、西洋にも同様の自由都市があり無縁の原理は人類共通ではないかとしているのが興味深かった。

中世、無縁の人々は時に死と隣り合わせであったが、無縁であるがゆえに自由で活発な経済活動を行っていたようだ。それが時代が下るにつれ変化してくる。

どうも私には多様性が否定され、為政者にとって管理しやすいような形に収束されていく過程に思える。歴史の中で失われていったものは何なのだろう‥‥。

所有や支配とは切り離されたその原理によって成立した場や人々にこそ、歴史を動かしていた特別なエネルギーがあるのではないかという見方は、教科書で教えられた歴史とはまったく違ったものだった。

絵巻物や洛中洛外図を見るのが好きな私にとっては、描かれている人々が、どういう身分なのか、どういう職業の人なのか、何をしているのかなど、多くの疑問に応えてくれる本だった。

絵を見たとき、今まで分からなかったこと、見えなかったものが見えてくる。それってとても嬉しい。

日本とは何か 日本の歴史〈00〉

日本の歴史00巻『「日本」とは何か』 網野善彦 (講談社)

タイトルにあるようにずばり「日本」とは何か、日本の骨格を成すといわれているものが果たして本当にそうなのか、その虚像と実像を熱く語る歴史書。

例えば、日本は島国根性と言う言葉に代表されるような、孤立した島国というイメージがあるが、長い歴史を通してその実態はどうだったのか。

提示されたのは富山県が企画した「環日本海諸国図」(通称:逆さ地図)という一枚の地図だ。

それは富山を中心に紙面の上に日本列島を横たえ、アジア大陸を下にしてアジア大陸側から日本を眺めた地図だ。見慣れた日本列島を別の角度から見たものだが、初めて見ると今までの認識がガラリと変わるような驚きがあった。

何より日本海は「内海」くらいにしか見えない。東南アジアからロシアまで日本を巻き込んでダイナミックな往来があったと容易に想像できるものだ。

日本の各地域が日本外の諸地域と個性豊かな繋がりがあったと思わざるを得なく、日本が斉一でないことが視覚的に納得できるようだった。

さらに「日本」という国名は、いつどのような経緯で生まれたかについても明確にされていた。恥ずかしながらアヤフヤだったので、なるほどなぁと‥‥。

 日本が地球上にはじめて現われ、日本人が姿を見せるのは、くり返しになるが、ヤマトの支配者たち、「壬申の乱」に勝利した天武の朝廷が「倭国」から「日本国」に国名を変えたときであった。

 それが七世紀末、六七三年から七〇一年のことであり、おそらくは六八一年、天武朝で編纂が開始され、天武の死後、持統朝の六八九年施行された飛鳥浄原令で、天皇の称号とともに日本という国号が公式に定められたこと、またこの国号が初めて対外的に用いられたのが、前にも述べたように、七〇二年に中国大陸に到着したヤマトの使者が、唐の国号を周と改めていた則天武后に対してであったことは、多少の異論はあるとしても、現在、大方の古代史研究者の認めるところといってよい。 (p88)

であるからして聖徳太子は倭人であって日本人ではなく、よく目にする「縄文時代の日本」や「弥生時代の日本人」という表現は本来おかしなもので、天皇についても「神武天皇」は言うに及ばず、「雄略天皇」「推古天皇」と表現することも歴史認識に大きな誤解を生むというのだ。

う~ん、言われてみればそのとおりで、私は当然のように使っていたが‥‥便宜的に使うとしてもこれからは何か引っ掛かりを感じるだろう。

ただ、国名、国旗、元号、天皇などについて私は論じるものを全く持っていないのであしからず。

また、見過ごされがちだった女性、老人、子供、被差別民の社会での役割や職業の解明が求められるという。

このような「進歩」の担い手たちの勝利の歴史から取り残されてきた人々、「敗者」の実態、また「基本的な生産関係」からはずれるとされ、無視されてきたさまざまな生業とそれを担った人々に目を向け、そこに生きている人間の叡智を余すところなく汲みつくすことは、本当の意味での人間の「進歩」とは何かを考えるためにも、現代において、とくに大切ではないかと思われる。 (p352)

過去にはノスタルジーを超えて見つめなければならないものが詰まっているのだと思った。