異色歴史短編集

小説日本芸譚 (新潮文庫)

『小説日本芸譚』 松本清張 (新潮文庫)

日本の芸道、美術史にその名を刻まれた芸術家10名を取り上げ、清張独自の見方でその人物に迫る短編集。

あくまで「小説」ということで、自由な発想で描かれているところが面白い。

それぞれの設定も、芸術家本人の呟きのようなもの、一職人から見た芸術家を書いたもの、作家がある芸術家についての小説を書こうとしているもの、などバラエティに富んで飽きさせない。

ラインナップは、

運慶

世阿弥

千利休

雪舟

古田織部

岩佐又兵衛

小堀遠州

光悦

写楽

止利仏師

千利休、古田織部、小堀遠州は三連作のようで、共通して権力者と茶道家の火花の散るようなせめぎ合いや、悲哀を描いていて社会派としての視点に凄みがあった。

清張は後記の中で、芸術家たちを復原しようと試みたのではないと強調し、運慶、雪舟、又兵衛、写楽、止利仏師は、みな曖昧で未知の部分があり、そこに魅力を感じたと述べている。

 しかし利休は、今さら引く気は毛頭無かった。危険に飛び下りてゆくような感じであった。秀吉を敗北させるか、自分が死ぬか、どちらかという心であった。彼は倣岸に、秀吉を圧迫し続けた。

 生命の破滅を予感しながら、この巨大な権力者を芸術の上から虐めてゆくことに、利休の心は快げに躍った。 (p91「千利休」より)

結局、秀吉にとって信長に仕えた利休を引き継ぐことは、最高権力者としての我が身を飾り立てる装いの一つに過ぎなかったのではないか。

利休にしても絶対的な美の強者として、秀吉の支配の及ばぬところにいるという自負があったと思う。

清張は、利休に死を命じたことは、秀吉の敗北だとしている。虐められた秀吉は耐えきれず、一番楽な方法で苦痛から逃れたに過ぎないのかもしれない。

清張の描いた利休は、死に際まで秀吉に対する闘争心を燃やし続け、すこぶる過激だった。

光悦は大そうな自信家でありますから、さきほど申しましたように大名なれば近隣の国々を切り従えたい位の勝ち気な男ですから、とても書道なら書道に満足している性分ではありません。絵だって描けるぞ、茶道だってやれるぞ、茶碗だって作れるぞ、漆絵だって出来るぞ、という心があります。つまり他人のやっている芸は何でもやってみたいのです。みんなを征服してみたいのです。それはもう芸術心というのではなく、野心であります。自分が何もかも一流にならなければ承知出来ない野心でございます。 (p210「光悦」より)

鷹ヶ峯、光悦村に住む一職人の目から見た光悦。

彼は、光悦は書では超一流だが、それ以外は書には到底及ばないという。しかし世の中の人は何でもかんでも光悦のものは一流だ、天才の技だとありがたがる。

また、光悦は実技者としてではなく、采配者として無名の職人の上に君臨していたという。あの宗達ですら光悦の呪縛から逃れられないでいたというのだ。

多芸に秀でた天才・光悦の実像を大胆に推理した一編。

この本を読もうと思ったのは「岩佐又兵衛」があったからなのだが、残念ながら小説としては一番印象に残らなかった。

しかし、考えようによってはそれが一番又兵衛らしいのかもしれない。

清張は又兵衛を、武士に生まれながら武士として生きられず、まま成らぬ人生を送った人物として、どこか諦めた、虚無的な人間として描いているように思えた。

小説では作品を取り上げて又兵衛の性格を云々しているところは無いが、又兵衛は作品自体が非常に個性的で灰汁が強く、人生の諸相が生々しく詰め込まれ存在感がある。

浮世又兵衛と呼ばれた岩佐又兵衛は、その作品だけが存在すればいいのかもしれない、とも思った。

「止利仏師」は伊村という作家が、止利仏師を題材にして小説を書こうとするのだが、資料も少なく、その人物像がイマイチつかめず四苦八苦、さて明日が締め切りとなって‥‥

正に清張がこの短編集でしている苦労を吐露したもの、という感じで面白い。

と同時に、清張の芸術や歴史に対する造詣の深さに改めて驚かされた。

収録されている短編は昭和32年に「芸術新潮」に連載されたそう‥いや贅沢な連載があったものだ。