対決-巨匠たちの日本美術 その一

東博の特別展「対決-巨匠たちの日本美術」へ行ってきた。

運慶vs快慶、雪舟vs雪村、永徳vs等伯、長次郎vs光悦、宗達vs光琳、仁清vs乾山、いやもう書いているだけでも圧倒されるが、まだ続く。

円空vs木喰、大雅vs蕪村、若冲vs蕭白、応挙vs芦雪、歌麿vs写楽、鉄斎vs大観の計12組24巨匠が並ぶのだから壮観だ。

しかし、「対決」という構図は、作品を見始めると直ぐに吹っ飛ぶ。何と言うことはない、一つ一つの作品が素晴らしく、それどころではなくなるのだ。

全てについて書こうと思うと、気が遠くなりそうなので、ここは一番見たかった蕭白、若冲、宗達あたりの感想を。

曾我蕭白は伊藤若冲と同時代に活躍した、正真正銘の奇想の画家。

まずは、これが見たかった!という《群仙図屏風》六曲一双。実物は左右併せて7メートルを超える大画面。予想を遥かに超える迫力だった。

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                              《群仙図屏風》 右隻

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                              《群仙図屏風》 左隻

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                          右隻 鉄拐仙人 部分

墨の濃淡に鮮やか過ぎるほどの色彩の人物が浮かび上がり、明るくも奇奇怪怪な仙人境が展開されている。

大胆かつ計算された構図の中に、緻密な描写と様々な筆遣いの描写とがせめぎ合って、見るものの常識をことごとく覆しているように思える。

人物の表情、しぐさ、衣服、どれを見てもオリジナリティ溢れ、凝っていないものは一つもなく、見飽きることはない。

蕭白の特徴の一つは、人物の表情の奇妙さにある。一言で言うと変な顔だ。

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        左隻 西王母 部分

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               左隻 蝦蟇仙人 部分

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左隻 センザンコウとみられる小動物 部分

その表情は俗っぽい以上に野卑で醜悪、狂気すら漂って、私にはお世辞にも聖性など感じられない。

けれど、そのエキセントリックな存在は、確かに何かを超越しているなぁと思う。

彼らの突き抜けたパワーたるや人間の煩悩など屁とも思っていない自由奔放さがあって、もう、どうにでもなれといった感じがしてくる。

近くで作品を見ると、例えば右隻の波の描写などは、蕭白の気質が見えるようだった。

波に描かれた縦の線が、一本一本、微妙に節を作りながら平行に引かれている。画家の痙攣すれすれの緊張と、同時に描く愉しみのようなものが感じられるようだった。

緻密な筆遣いや荒々しい筆遣いが同居し、複雑で蕭白だけの奇妙な世界を作っている。

見るものの度肝を抜く蕭白の奇想を支えるものは、画家としての確かな筆力だとあらためて感じた。

次は《寒山拾得図屏風》二曲一双

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                    《寒山拾得図屏風》 右隻

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                    《寒山拾得図屏風》 左隻 

寒山と拾得は、唐の時代に天台山国清寺あたりの深山幽谷にあって、豊干禅師が拾って寺に住まわせた拾得、冷たい岩の穴に住んでいた寒山、共に超俗的で風狂な人物として伝えられている。

寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身ともいわれて、このペアは昔から人気のある画題。多くの画家によって描かれているものだ。

寒山は洞窟にいたり、巻物を持っていたり、岩に筆で詩を書き付けている姿で表わされる。

一方、西洋風に言えば、拾得のアトリビュート(持物)といったら箒。寒山のために墨を磨っていることもある。

蕭白の描いた寒山拾得を見ると、寒山を取り囲む岩の奇妙な表現が面白い。内側にいる寒山はまるで子宮の中にいるようにも見える。

それにしても、画面を埋め尽くすような執拗な描きこみは、凄まじいものがあり、実際に見ると恐ろしい感じがした。

いったいこの画家の精神構造はどんなだったのだろうと想像してしまう。

寒山拾得は、破天荒で風狂の者たちだが、菩薩の化身でもあり、聖と俗の二面性がある。また寒山と拾得で一人の人間の二面性ともいえると思う。

型破りな蕭白にとって風狂の寒山拾得は、自分自身を重ね合わせるものではなかったかと思う。

芥川と鴎外に『寒山拾得』という掌編があって、共に青空文庫で2,3分で読むことができる。

芥川のはとても短いけれど、心の転機というか突破口というか、寒山拾得の開放的な感じがよく出ていて好きだ。

鴎外のは???と言った感じで禅問答みたい。ずっと以前読んで、全然分からなかったので、逆に覚えていた。

『寒山拾得』芥川龍之介 青空文庫より

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3809_26610.html

『寒山拾得』森鴎外  青空文庫より 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/1071_17107.html

横道にそれてしまったが、次は《唐獅子図》二幅

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蕭白が伊勢に赴いたときに当地の朝田寺で描いたそうだ。

豪放磊落、自由闊達といった感じで、有り余るエネルギーを紙面に叩き付けているようにも思える。

阿形の獅子は執念を感じさせるような人間じみた目つきをしていて、蕭白らしい。

獅子の足下にあるのは以前バーク・コレクション展で見た《石橋図》と同じ、獅子の子が遊んだ橋。

同じ題材でも全く違うところが面白い。

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              《石橋図》

出来ればもう一度、足を運んで見たい作品ばかりだ。

vsとなっている伊藤若冲の《仙人掌群鶏図襖》に描かれた正体不明の青い形について、

《石灯籠図屏風》の意欲的な画法も興味が尽きないが、長くなったので次回に。

特別展「対決-巨匠たちの日本美術」

http://www.asahi.com/kokka/

「対決-巨匠たちの日本美術」バーチャル美術館

http://www.diam.co.jp/special/kokka/